伊号第四百一潜水艦

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Japanese submarine I-14 in 1945.jpg
潜水母艦プロテウス英語版(左)に接舷した伊401。右は伊14。(横須賀1945.8.29)
艦歴
計画 昭和18年度計画(改マル5計画
起工 1943年4月26日
進水 1944年3月11日
就役 1945年1月8日
その後 1946年5月31日撃沈処分
除籍 1945年9月15日
性能諸元
排水量 基準:3,530 t(水上)
6,560 t(水中)
全長 122m
全幅 12m
吃水 7.02m
機関 艦本式22号10型ディーゼル4基2軸7,750馬力(5,843.5 kW)
電動機2基2,400馬力(1,788 kW)
最大速 速力:18.7kt
(水上)6.5kt(水中)
航続距離 37,500 浬(水上:14 kt)
60 浬(水中:3 kt)
安全潜行深度 100 m
兵員 157名
兵装 40口径14cm単装砲 1門
25mm3連装機銃 3基9挺
25mm単装機銃 1挺
533mm艦首魚雷発射管艦首 8門
魚雷20本搭載
四式一号一〇型射出機 1基
航空機 晴嵐 3機

伊号第四百一潜水艦[1](いごうだいよんひゃくいちせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍潜水艦伊四百型潜水艦の二番艦。

概要[編集]

1945年(昭和20年)1月8日竣工したが、すでに敗戦はほとんど決していた。それでも終戦直前の7月20日、アメリカ海軍機動部隊泊地であるウルシー環礁を攻撃すべく舞鶴を出港、23日に大湊を出撃した。指揮官として第1潜水隊司令有泉龍之助大佐が座乗した。艦長は南部伸清少佐が務めた。もともと設計時に想定された通常の攻撃ではなく、3機の『晴嵐』は特攻機として使用する予定であり、搭乗員が特攻隊員としての短刀が渡され、出撃時に特攻の別れの杯の式が執り行われていた。

僚艦伊号第四百潜水艦と途中合流の予定だったが合流できなかった。攻撃開始の直前に終戦となり、降伏の命令を現地で受ける。艦内では自沈か攻撃かで激論となったが、結局は艦長の判断で帰還と決し、艦載機を機密保持のため海上にて処分し、帰還途上の8月29日米軍により海上で接収される。有泉司令はこの2日後司令室で自決した。ただし自決日は8月29日とする資料もある(『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』では8月29日、半藤一利著『戦死の遺書』文春文庫1995年では8月31日)。乗員204名中に他に自決者は出なかった。

その後米軍の手によって実験後、1946年5月31日真珠湾沖で海没処分された。

2005年、ハワイ大学ウィルシャー教授のチームによってオアフ島沖で発見され、沈没地点が特定された。

艦載機の機密保持とは、通常、日本軍機は深緑色に国籍は日の丸のエンブレムであるが、艦載機の外装をシルバーに、国籍をアメリカ軍の星形を付け米軍機の偽装をした[2]。これは明確な戦争犯罪であり、該当機の処分及び司令官の自決という結果につながった。

艦歴[編集]

  • 1943年(昭和18年)4月26日 - 佐世保海軍工廠で起工。
    • 12月22日 - 「伊号第四百一潜水艦」と命名[1]
  • 1944年(昭和19年)3月11日 - 進水。
  • 1945年(昭和20年)1月8日 - 竣工。連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。内海で訓練に従事。
    • 4月12日 - 燃料補給のため大連へ向かう途中、伊予灘姫島灯台沖で機雷に接触し小破。呉に引き返す。
    • 6月 - 七尾湾で艦載機の発着訓練に従事。
    • 7月23日 - ウルシー攻撃のため大湊を出港。出港直後に陸軍守備隊から誤射される
    • 8月15日 - 終戦をポナペ島南方海面で迎え、日本へ帰投。大湊を目指した。
    • 8月29日 - 浮上航行中、三陸沖で米潜「セグンド」に発見される。
    • 8月30日 - 離脱を図ったが左舷機関が故障し、速力低下。セグンドに追いつかれた。日の出後、ヒラム・カスディ中佐の率いるアメリカ軍兵士6名が接収。
    • 8月31日 - 横須賀港に帰港。
    • 9月15日 - 除籍。
    • 10月 - 佐世保へ回航。
  • 1946年(昭和21年)1月 - 佐世保を出港、アメリカ本土に回航し技術調査される。その後真珠湾へ曳航。
    • 5月31日 - ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分
  • 2005年3月20日 - ハワイ大学の研究チームにより船体が発見される。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』442-443頁による。

艤装員長[編集]

  1. 南部伸清 少佐:1944年12月11日 -

艦長[編集]

  1. 南部伸清 少佐:1945年1月8日 -

同型艦[編集]

伊400 - 伊401 - 伊402 - 伊404(未成)- 伊405(建造中止)

脚注[編集]

  1. ^ a b 昭和18年12月22日付 海軍大臣達 第319号。四〇一ではない。
  2. ^ 高橋『神龍特別攻撃隊』196頁

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 南部伸清『米機動艦隊を奇襲せよ!―潜水空母「伊401」艦長の手記』(二見書房、1999年)
  • 吉村昭『深海の使者』(文春文庫、1971年)

本艦を扱った作品[編集]

ドキュメンタリー作品[編集]

  • 『さらば海底空母イ401 幻のパナマ運河大爆撃』(1983年、木曜スペシャル日本テレビ系列)
  • 『日本軍の極秘潜水艦』(ナショナルジオグラフィックチャンネル作品公式HP
  • ドキュメンタリー番組『幻の巨大潜水艦 伊400~日本海軍極秘プロジェクトの真実』(ハワイ沖の海底に沈む同型艦の伊400と、特型潜水艦の特徴や開発経緯、晴嵐のスミソニアン博物館の展示の様子・開発経緯・特型潜水艦での組み立て、乗員の具体的証言(呉の海上自衛隊の潜水艦桟橋で「(海上自衛隊の潜水艦とは)比べものにならない(位、伊400のほうが大きい)」等)、甲板上の形状まで再現したコンピュータグラフィック。当時の動画として、終戦翌年ハワイ入港時の甲板上の様子が写ったカラーのものや、魚雷で撃沈される白黒のものなど。また、海上自衛隊が保持しており今回公開された図面もコンピュータグラフィックには活かされている。潜水調査は、2013年の発見後、ハワイ大学とNHKとの共同事業。2015年5月6日、歴史秘話ヒストリアスペシャル(第416回)、日本放送協会

フィクション作品[編集]

関連項目[編集]