伊号第三百六十七潜水艦

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Japanese submarine I-367.jpg
回天を搭載して出撃する伊367
(呉、1945年7月19日(推定)[1]
艦歴
計画 昭和18年度計画(改マル5計画
起工 1943年10月22日
進水 1944年4月28日
就役 1944年8月15日
その後 1946年4月1日海没処分
除籍 1945年11月30日
性能諸元
排水量 基準1,440t、常備1,779t
水中2,215t
全長 73.50m
全幅 8.90m
吃水 4.76m
機関 艦本式23号乙8型ディーゼル2基2軸
水上:1,850馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:13.0kt
水中:6.5kt
航続距離 水上:10ktで5,000海里
水中:3ktで120海里
燃料 重油:282トン
乗員 55名
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm単装機銃2挺
53cm魚雷発射管 艦首2門、魚雷2本[注釈 1]
備考 安全潜航深度:75m
物資搭載量:艦内65トン、艦外20トン[2]

伊号第三百六十七潜水艦(いごうだいさんびゃくろくじゅうななせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦伊三百六十一型潜水艦の7番艦。回天攻撃隊に参加、戦後海没処分。

艦歴[編集]

  • 1942年改マル5計画第5467号艦
  • 1943年10月22日 - 三菱重工業神戸造船所にて起工。
  • 1944年
  • 1945年
    • 1月1日 - 横須賀着、回天搭載工事に着手。
    • 5月5日 - 振武隊として大津島を出撃。
    • 5月27日 - 回天2(or 3)基発進
    • 7月19日 - 多聞隊としてを出撃。
    • 8月16日 - 呉に帰港。
    • 11月30日 - 除籍
  • 1946年4月1日 - 五島沖で海没処分。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』445-446頁による。

艦長[編集]

  1. 篠原茂夫 少佐:1944年8月15日 -
  2. 武富邦夫 少佐:1944年11月15日 -
  3. 今西三郎 大尉:1945年6月14日 -

注釈[編集]

  1. ^ 本艦は水雷兵装を持つとするのが通説であるが、竣工時に水雷長の発令は無い。

脚注[編集]

  1. ^ 『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集20巻』69頁。
  2. ^ 数値は『写真 日本の軍艦』の解説より。『艦長たちの軍艦史』によると伊361型の搭載量は艦内65トン、艦外40トンで合計105トン

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号他、光人社、1998年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 福井静夫『写真日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1

関連項目[編集]