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伊号第十四潜水艦

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伊号第一四潜水艦から転送)
伊号第十四潜水艦
潜水母艦プロテウス英語版(左)に接舷した伊401と伊14(右)(横須賀1945.8.29)
基本情報
建造所 川崎造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 一等潜水艦
級名 伊十三型潜水艦
艦歴
計画 昭和18年度計画(改⑤計画
起工 1943年5月18日
進水 1944年3月4日
竣工 1945年3月14日
除籍 1945年9月15日
その後 1946年5月28日海没処分
要目
基準排水量 2,620トン
常備排水量 3,603トン
水中排水量 4,762トン
全長 113.7m
最大幅 11.7m
吃水 5.89m
機関 艦本式22号10型ディーゼルx2基
推進 2軸
出力 水上:4,400馬力
水中:600馬力
速力 水上:16.7kt
水中:5.5kt
燃料 重油:搭載量不明
航続距離 水上:16ktで21,000海里
水中:3ktで60海里
潜航深度 安全潜航深度:100m
乗員 竣工時定員116名[1]
兵装 40口径十一年式14cm単装砲x1門
九六式25mm連装機銃x2基4挺
九六式25mm単装機銃x1挺
九五式53cm魚雷発射管x6門(艦首6門)/魚雷x12本
搭載機 特殊攻撃機晴嵐x2機
四式1号10型射出機x1基
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伊号第十四潜水艦(いごうだいじゅうよんせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。普遍的には伊十三型潜水艦の2番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では伊九型潜水艦の6番艦[2]

艦歴

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改⑤計画の潜水艦甲、仮称艦名第5091号艦として計画[3]。当初は伊号第十三潜水艦と同様、伊号第十二潜水艦と同型となる予定だったが、建造中の1943年後期に、建造隻数が削減された伊四百型潜水艦を補うため設計変更された[4]

1943年5月18日川崎造船所で起工、12月22日伊号第十四潜水艦と命名[5]、伊十型潜水艦の5番艦に定められ[6]、本籍を横須賀鎮守府と仮定[7]1944年3月14日進水。1945年3月14日竣工し、本籍を横須賀鎮守府に定められ[8]、第一潜水隊に編入[9]

光作戦

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1945年5月に鎮海で燃料を搭載、同年7月11日に大湊を出港しトラック諸島へ偵察機(彩雲)2機を輸送する任務に就く。同年8月4日にトラック諸島に到着、その地で終戦を迎えた。戦果等は特になし。同年9月15日除籍。戦後はアメリカに回航されて試験や実験に用いられた後、1946年5月28日自沈させられた。現在ハワイ沖に沈んでいる。

潜水艦長

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艤装員長
  1. 清水鶴造 中佐:1944年11月5日[10] - 1945年3月14日[11]
潜水艦長
  1. 清水鶴造 中佐:1945年3月14日[11] - 1945年9月15日[12]

脚注

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  1. ^ 昭和20年3月14日付 内令員第514号。この数字は航空関係要員を含み、特修兵その他臨時増置された人員を含まない。
  2. ^ 本艦が艦艇類別等級別表に登載された1943年12月22日時点で伊号第九潜水艦が除籍済みかつ伊号第一潜水艦(2代)が同表未登載のため、法令上は伊十型潜水艦の5番艦。これら2艦も含めた場合、同表上では伊九型潜水艦の通算7番艦となる。
  3. ^ 戦史叢書『海軍軍戦備(2)』、p. 44。
  4. ^ 世界の艦船『日本潜水艦史』、p. 62。
  5. ^ 昭和18年12月22日付 達第319号。
  6. ^ 昭和18年12月22日付 内令第2776号。
  7. ^ 昭和18年12月22日付 内令第2780号。
  8. ^ 昭和20年3月14日付 内令第236号。
  9. ^ 昭和20年3月14日付 内令第237号。
  10. ^ 昭和19年11月10日付 秘海軍辞令公報 甲 第1640号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101900 
  11. ^ a b 昭和20年3月24日付 秘海軍辞令公報 甲 第1754号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103900 
  12. ^ 昭和20年9月25日付 海軍辞令公報 甲 第1927号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072107600 。予備役編入に伴う自動解職。

参考文献

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