伊号第十九潜水艦

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伊号第十九潜水艦
I19.jpg
経歴
運用者  大日本帝国海軍
建造所 三菱重工業神戸造船所
計画 第三次海軍軍備補充計画(マル3計画
起工 1938年3月15日
進水 1939年9月16日
就役 1941年4月28日
除籍 1944年4月30日
最後 1943年11月25日戦没
要目
基準排水量 2,198トン
常備排水量 水上2,584トン[1]、水中3,654トン
全長 108.7m
全幅 9.30m
吃水 5.14m
主機 艦本式2号10型ディーゼル2基2軸
出力 水上:12,400馬力
水中:2,000馬力
速力 水上:23.6kt
水中:8.0kt
燃料 重油:774トン[2]
航続距離 水上:16ktで14,000海里
水中:3ktで96海里
潜航深度 100m
乗員 94名[3]
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm機銃連装1基2挺
53cm魚雷発射管 艦首6門
九五式魚雷17本
搭載機 零式小型水上偵察機1機
(呉式1号4型射出機1基)
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伊号第十九潜水艦(いごうだいじゅうきゅうせんすいかん、旧字体:伊號第十九潜水艦)は、日本海軍伊十五型潜水艦の3号艦。

艦歴[編集]

アメリカ近海での通商破壊[編集]

伊号第十九潜水艦は1938年3月15日三菱重工神戸造船所で起工され、1939年9月16日に進水し、1941年4月28日に竣工した。その後太平洋戦争中のアメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦に参加した。12月23日に北緯34度35分 西経120度45分 / 北緯34.583度 西経120.750度 / 34.583; -120.750のサンディエゴ西方30で米タンカー「 H・M・ストレー」(H. M. Storey、10,763総トン)を砲撃しているが命中せず、魚雷2本を発射して命中させたが、沈めることはできなかった。25日にはカリフォルニア沖で米木材運搬船「バーバラ・オルソン」(Barbara Olson)を雷撃するも失敗。同日、北緯34度00分 西経121度00分 / 北緯34.000度 西経121.000度 / 34.000; -121.000のサンペドロ沖で米貨物船「アブサロカ」(Absaroka、5,695総トン)を撃破した後、ロサンゼルス港口で米哨戒ヨットアメジストの爆雷攻撃を回避した。30日にはカリフォルニア沖でPBY飛行艇により爆弾2発を投下されるも、被害はなかった。1942年1月5日には搭載機を水上発進[4]させて真珠湾を偵察した後、15日にクェゼリンに入港した。

ワスプ撃沈[編集]

7月15日、横須賀を出港後、ソロモン諸島南東方面に進出。26日午後、ガダルカナル島南東約200浬で米空母ワスプを中心とする任務部隊を視認し、報告後これを追跡した。29日にはサンタ・ クルーズ諸島ヌデニ島を飛行偵察し、駆逐艦1、飛行艇6を視認と報告。31日にはヌデニ島グラシオサ湾を砲撃した。

魚雷が命中したオブライエンと左遠方で炎上する空母ワスプ

9月15日、伊号第十九潜水艦(艦長木梨鷹一中佐)はソロモン諸島サンクリストバル島南東で米空母ワスプを再度発見し、1145に酸素魚雷6本を発射、このうち3本がワスプに命中し、ワスプは航空機用のガソリンに引火して爆発炎上し、駆逐艦の魚雷で処分された。さらに残り3本の魚雷は偶然10km先を航行していた第17任務部隊に到達し戦艦ノースカロライナ駆逐艦オブライエンに各1本命中した。オブライエンは大破し、その損傷が元で10月19日に沈没した。また、ノースカロライナは復帰まで3ヶ月(9月15日被撃, 11月26日復帰)を要した。伊号第十九潜水艦はその後、トラックに入港した。

南大平洋での通商破壊[編集]

1943年3月に入り、伊号第十九潜水艦はトラックを基地に南太平洋で通商破壊に参加した。

4月30日、フィジー島スバ南東で米貨物船「フェーベ・A・ハースト」(Phoebe A. Hearst、7,176総トン)を雷撃して撃沈した。5月2日には米貨物船「ウィリアム・ウィリアムズ」(William Williams、7,181総トン)を雷撃して撃破した。16日にはに南緯19度00分 東経175度00分 / 南緯19.000度 東経175.000度 / -19.000; 175.000のスバ南西沖で米貨物船「ウィリアム・K・ヴァンダービルト」(William K. Vanderbilt、7,181総トン)を雷撃して撃沈した。8月13日にはフィジー沖で米貨物船「M・H・デ・ヤング」(M.H. De Young、7,176総トン)を雷撃して撃破した。

喪失[編集]

10月17日、第1潜水隊司令潜水艦としてトラックを出港。 11月17日、真珠湾を飛行偵察後、敵哨戒機の出現により搭乗員のみを収容した。18日、真珠湾内に空母1、戦艦1、巡洋艦1、戦艦か空母1、その他若干と報告。19日にギルバート諸島方面への急行を命ぜられ、1032に状況報告後消息を断つ。11月25日、マキン島近海で米駆逐艦「ラドフォード」の爆雷攻撃を受け戦没し、潜水艦長の小林茂男少佐以下全乗員が戦死した。1944年2月2日に亡失と認定され、4月30日に除籍された。

撃沈隻数は4隻で、撃沈トン数は計31679トンにのぼる。また、艦艇や商船5隻、計67015トンに損傷を与えた。

歴代潜水艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』403-404頁による。

艤装員長[編集]

艦長[編集]

  • 楢原省吾 中佐:1941年4月28日 -
  • 木梨鷹一 少佐:1942年7月15日 -
  • 小林茂男 少佐:1943年9月27日 - 11月25日戦死

フィクションへの登場[編集]

1979年の映画「1941」では、アメリカ本土砲撃を目論む日本海軍の潜水艦として伊号第十九潜水艦が登場し、艦長アキロー・ミタムラ中佐を三船敏郎が演じた。ただし、作中ではドイツから購入した潜水艦と説明されている。

脚注[編集]

  1. ^ 常備排水量は2,589トンとする資料もある。
  2. ^ 燃料搭載量は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。752.6トンとする資料もある。
  3. ^ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。
  4. ^ 当時、航空機射出用カタパルトは故障していた

参考文献[編集]