仙台市立秋保小学校

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仙台市立秋保小学校
地図
地図北緯38度15分21秒 東経140度40分49秒 / 北緯38.255917度 東経140.680139度 / 38.255917; 140.680139座標: 北緯38度15分21秒 東経140度40分49秒 / 北緯38.255917度 東経140.680139度 / 38.255917; 140.680139
過去の名称 長袋小学校
温故小学校
秋保尋常高等小学校
秋保国民学校
秋保村立秋保小学校
秋保町立秋保小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 仙台市
設立年月日 1873年7月7日
開校記念日 7月7日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B104221040130 ウィキデータを編集
所在地 982-0243
仙台市太白区秋保町長袋字町15
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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仙台市立秋保小学校(せんだいしりつ あきうしょうがっこう)は宮城県仙台市太白区秋保町長袋字町にある公立小学校である。太白区西部の旧秋保町地域に位置し、秋保温泉秋保大滝などの観光資源に恵まれた環境にある。2022年(令和4年)4月の児童数は42人である[1]

学区[編集]

  • 秋保町境野、秋保町長袋(馬場小学校区を除く)、秋保町馬場字向山、川崎町本砂金地区[2]

歴史[編集]

長袋小学校は、学制にもとづき1873年(明治6年)に全国で一斉に創設された最初の小学校の一つとして、名取郡長袋村の村社諏訪神社別当院・円行院の祈祷場に開校した。長袋村・境野村・湯元村・馬場村・新川村の五か村を学区とした。学区は非常に広く、馬場村西部と新川村からの通学は困難で、夜間と休日に出張授業をした[3]。当初の教員は4人、児童は男子58人、女子17人で計76人いた[3]。当初は就学率が低く、特に女子で小学校に通う者が少なかった。1900年(明治33年)に就学率90パーセントを超えた[3]

1876年(明治9年)に、通学の不便をやわらげるため、湯本、境野、馬場、新川に支校を置いた。1879年(明治12年)に西の馬場、東の湯元が独立した小学校になった。1886年(明治19年)に馬場小学校湯元小学校は長袋尋常小学校の分教場になった[4]

創設当初は寺子屋の延長のような施設だったが、1882年(明治15年)に新校舎を建築して移転した。校舎のために宮城県から払い下げれさた台原の木材は、村人が総出で運んだという[5]1889年(明治24年)に増築した[6]。明治時代には校庭が狭く、5、6キロ離れた上ノ原や大原まで出かけて運動会をしていた[7]。校庭が拡張されたのは1922年(大正11年)のことである[8]

1889年(明治22年)に町村合併で秋保村が発足すると、長袋尋常小学校は秋保尋常小学校に改称した[9]。以後は制度の変更で「尋常小学校」の部分が改められたり、「秋保村立」「仙台市立」などが前についたりするだけでに今に至る。

第2次世界大戦の空襲が激しくなると、1944年(昭和19年)に東京市浅草区の清島小学校(現在の台東区立上野小学校)、松葉小学校、正徳小学校から児童約千人が秋保に疎開してきた[10]。1945年9月には児童数が1300人(32学級)となった。東京大空襲の難を避けた子供たちは、戦争が終わると帰っていき、秋保はもとの小規模校に戻った。

戦後、1947年(昭和22年)に新制の中学校が義務教育で置かれると、秋保中学校が小学校に間借りして開校した。講堂を仕切ったり職員室を教室にしたりして当座をしのぎ、翌年に新築移転した。

1951年(昭和26年)に馬場小学校と湯元小学校がふたたび独立した小学校になった[11]

長らく増改築を重ねてきた木造校舎は、1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリートで建て直された[12]

年表[編集]

  • 1873年(明治6年)7月 - 第三中学校区第四十三番長袋小学校として開校。[9]
  • 1876年(明治9年)10月 - 温故小学校に改称、境野・湯元・馬場・新川に支校を置く[9]
  • 1879年(明治12年) 馬場小学校、湯元小学校が分離。新川支校は馬場小学校の支校となる。境野支校廃止[4]
  • 1880年(明治13年)8月 - 長袋小学校に改称[9]
  • 1882年(明治15年)12月 - 現在地に校舎を新築[9]
  • 1886年(明治19年) - 長袋尋常小学校に改称。馬場・湯元小学校、野尻・新川支校は分教場となる[4]
  • 1889年(明治22年)4月 - 市町村制施行により五か村が合併、秋保村成立に伴い秋保尋常小学校に改称[9]
  • 1891年(明治24年) - 増築。
  • 1899年(明治32年)8月 - 高等科を併設。秋保高等尋常小学校と改称[13]
  • 1922年(大正11年) - 校庭拡張[14]
  • 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行により秋保国民学校に改称[13]
  • 1947年(昭和22年)4月 - 秋保村立秋保小学校と改称[12]
  • 1947年(昭和22年)6月 - 校歌制定[12]
  • 1951年(昭和26年)4月 - 馬場小学校湯元小学校両校が独立[12]
  • 1958年(昭和33年)2月 - 北側校舎を増築[12]
  • 1966年(昭和41年)3月 - 鉄筋コンクリート校舎を新築[12]
  • 1967年(昭和42年)4月 - 町制施行により秋保町立秋保小学校に改称[12]
  • 1968年(昭和43年)4月 - 特殊学級を設置[12]
  • 1970年(昭和45年)3月 - 白沢分校を閉校[12]
  • 1971年(昭和46年年)4月 - 秋保幼稚園を併設。
  • 1982年(昭和57年)9月 - 校旗制定。
  • 1988年(昭和63年)3月 - 仙台市編入により仙台市立秋保小学校に改称。
  • 1989年(平成元年)4月 - 白沢地区の児童を上愛子小学校へ学区替えする。
  • 2012年(平成24年)4月 - 川崎町立本砂金小学校の閉校に伴い、川崎町本砂金地区の児童を秋保小学校が受け入れ。

卒業後の進路[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 仙台市立秋保小学校「秋保小だより」No. 1、2022年4月8日。
  2. ^ 川崎町立小、中学校の通学区域に関する規則 - 2011年9月1日 川崎町教育委員会
  3. ^ a b c 『秋保町史』本編340 - 341頁。
  4. ^ a b c 『秋保町史』本編342頁。
  5. ^ 『秋保町史』本編341頁。
  6. ^ 『秋保町史』本編、352頁。
  7. ^ 『秋保町史』本編343頁、345頁。
  8. ^ 『秋保町史』本編345頁。
  9. ^ a b c d e f 『秋保町史』本編349頁。
  10. ^ 『秋保町史』本編346頁。
  11. ^ 『秋保町史』本編346頁
  12. ^ a b c d e f g h i 『秋保町史』本編351頁。
  13. ^ a b 『秋保町史』本編350頁。
  14. ^ 『秋保町史』本編345頁。

参考文献[編集]

  • 秋保町史編纂委員会『秋保町史』本編、宮城県名取郡秋保町発行、1976年。

関連項目[編集]