仙台四郎

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せんだいしろう
仙臺四郎(仙台四郎)
Sendai Shirou.jpg
30歳頃の四郎を写したとされる写真
生誕 芳賀四郎(芳賀豊孝[1][2]
1855年安政元年)頃
仙台藩陸奥国仙台城下町
現況 福の神
死没 1902年明治35年)頃、47歳
(伝)福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市
住居 陸奥国(陸前国)仙台北一番丁(現・宮城県仙台市青葉区上杉1丁目)
国籍 日本の旗 日本
別名 櫓下四郎、シロバカ[2]
職業 無職
影響を与えたもの 商売繁盛の信仰
活動拠点 南東北
補足
知的障害があった[2]
仙台四郎の人形
仙台初売りを知らせる幟(2012年12月)。2002年より仙台初売りのイメージキャラクターとなっている。
三瀧山不動尊奉納夏祭りで繰り出される仙台四郎の山車(2016年7月)

仙台 四郎(せんだい しろう、グレゴリオ暦1855年頃 - 1902年頃)は、江戸時代末から明治時代にかけて、現在の宮城県仙台市に実在した人物の通称。旧字体で「仙臺四郎」とも書く。本名は通説では芳賀 四郎であるが、親族によれば「芳賀 豊孝」[1][2]

知的障害があり会話能力が低かったが、四郎が訪れる店は繁盛するとして存命中から各地でもてなされた。没後、商売繁盛のご利益がある福の神とみなされ、「仙臺四郎(仙台四郎)」と名付けられてその写真等が飾られるようになった。

来歴[編集]

江戸時代から1880年代まで、北一番丁勾当台通の角、旧・宮城県庁構内郵便局の場所に火の見櫓があり[3]、北一番丁通りを挟んで北向い(現・青葉区役所辺り)は少なくとも19世紀中は「櫓下」と呼ばれていた(地図[4]。この「櫓下」には戦国時代伊達政宗の代より伊達氏仙台藩)に仕えた砲術師を祖とする鉄砲鍛冶職人・芳賀家[5]があり、その4男として生まれたとされる[1][4]。そのため「櫓下四郎」とも呼ばれた[4]

四郎の知的障害には2つの説があって、生まれつきだという説と、そうではなく、7歳の時花火見物中に誤って広瀬川に転落して溺れて意識不明となり、それが元で知的障害となったという説がある。言葉は「バヤン」(「ばあや」の意)などとしか話せなかったとする説と、会話も出来たとする説とがある[2]

その後、四郎は気ままに市中を歩き回るようになった。行く先々で食べ物や金品をもらったりしていたが、人に危害を及ぼすことはなく愛嬌のある風貌をしていたので、おおむね誰からも好かれた。子供が好きで、いつも機嫌よく笑っていたという。「四郎馬鹿(シロバカ)」などと陰口を叩かれることもあったが、不思議と彼が立ち寄る店は繁盛し人が集まるようになったため、「福の神だ」などと呼ばれてどこでも無料でもてなされたとされるが、実際には家人が後に支払いに回っていたこともあった。店にしてみれば、どんなに高額な飲食でも、必ず後で代金を支払ってもらえる上客と解釈できる存在であったという側面もある。四郎は素直な性質であったが、気に入らない店には誘われても決して行かなかったという。

やはり無料で鉄道を利用し、宮城県内の白石や、福島県福島白河、さらには山形県山形まで足を伸ばしていたらしい。

四郎は1902年明治35年)頃に須賀川にて47歳で死んだとされるが[6]、諸説ありはっきりしたことはわかっていない。徘徊中にそのまま姿を消したという説もある。釜山港漫遊中との新聞記事が掲載されたことがあるが、これも事実かどうかはわからない[7]昭和期(1926年 - 1989年)に入っても目撃談があったとされる[8]

肖像[編集]

明治時代には、千葉一が30歳頃の四郎を撮影した写真焼き増しされて販売されていた。大正に入る頃に、仙台市内の千葉写真館が「明治福の神(仙臺四郎君)[9]」と銘打ってこの写真を絵葉書に印刷し売り出した。このときから「仙台四郎」と呼ばれるようになった。

現在残っている写真は上記の一種類だけである。この写真に写る四郎は、縞模様和服に懐手をして笑っており、言い伝え通りに膝を丸出しにしているなど、四郎の人と為りをよく捉えたものと言える。

この写真をオリジナルとして、肖像画家による作品が2つと、鉛筆画が4つあり、それぞれらの複製の段階で細部の違いもできたりしたため、さらに幾つかの版の存在を確認できる[10]着物がはだけていないように見える物から、中には膝の奥に男根がそのまま写っているものまで有り、幅広い職種の如何を問わず、彼が福の神として厚く慕われて来た何よりの証拠ともなっている。

流行り神[編集]

江戸時代より仙台では、商売繁盛を願う縁起物として松川だるま(仙台だるま)があり、「七転八起」に因んで8体を並べて飾り、毎年1体を買い求めた替わりに1体をどんと祭等においてご神火で燃やすという風習があった[11]。松川だるまは中心部などで開催されていた「歳の市(仲見世)」で買い求めるのが一般的であったが、高度経済成長期にあたる昭和40年頃に歳の市(仲見世)は行われなくなり[† 1]、主要な販路が寺社の祭事での出店に変化した[11]。また、支店経済都市である仙台では、中心部商店街の小売店がテナントビル化し、松川だるまを知らない東京や海外に本拠を置く店子が主に路面店として入るようになり、松川だるまの風習が衰退していった[11]

ここに、写真や人形など様々なグッズ展開をした仙台四郎のブームが発生し、仙台における商売繁盛の縁起物の地位が、神棚に並べ場所をとる松川だるまから、店内での置き場所に自由度が高く場所をとらない仙台四郎へと取って代わられることになる[11]

仙台市内の飲食店では、神棚、レジ脇などに、仙台四郎の写真や置物を見ることができる。土産屋などでは、様々な四郎人形がおいてある。なお、仙台の流行り神としては、他に定義如来仙台幸子がある。

鎮座地[編集]

朝日神社に飾ってある仙台四郎の絵(2015年7月)

仙台四郎は民間信仰であるため本来寺社とは関係ないが、仙台四郎を合わせて祀る寺社がある。

年表[編集]

  • 1855年安政元年)頃、仙台城下町・北一番丁(櫓下)の鉄砲鍛冶・芳賀家に生まれた。本名は「四郎」だとされるが、親族によれば「豊孝」と推測されている[1]
  • 1877年明治10年)頃、新聞に登場するほどの有名人になった[8]
  • 1882年(明治15年)、仙台各界の人物を順位付けした番付表の「ばか」部門で四郎が1位となった[8]
  • 1885年(明治18年)頃、当時30歳くらいになっていた四郎を千葉一が撮影した(この写真が現在の仙台四郎の肖像として使用されている)[2]
  • 1902年(明治35年)頃、福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)にて、47歳で死んだとされる[6]
  • 大正時代(1912年 - 1926年)に入ると、X橋(宮城野橋)と仙台駅との間(現在アエルが建つ)にあった千葉写真館(仙台市)が「明治福の神(仙臺四郎君)」と銘打って、四郎の写真を使った絵葉書を売り出した[2]。この頃から「仙台四郎」と呼ばれて崇められるようになった[2][8]
画像外部リンク
文化庁「文化遺産オンライン」
熊耳耕年「芭蕉の辻錦絵」
(四郎は左下で子供を抱いた女性と相対している)
1986年に「仙臺四郎祭」が開催された佐々重ビル(2008年5月の撮影時は一番町平和ビル:建て替えられ2012年1月竣工)

関連作品[編集]

以下は仙台四郎を題材にした作品。

このほかに、BSフジのバラエティ番組「東北魂TV」において、仙台四郎をパロディにした、仙台五郎(富澤たけし)と仙台六郎(狩野英孝)が登場するコントシリーズがある。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 歳の市(仲見世)は一番町等で行われなくなった後、中心部商店街より外側に位置する宮城県庁舎前や西公園に移ったようだが、まもなく開催されなくなった。歳の市(仲見世)が仙台で行われなくなった詳しい経緯は不明だが、年末(旧暦および新暦)の歳の市(仲見世)より、(新暦の)クリスマスセール、歳末大売出し、そして仙台初売りに仙台の商業イベントの中心が移ったことや、1964年(昭和39年)東京オリンピックに合わせて非衛生的な屋台の一斉排除が行われた煽りで、路上販売行商)の排除も進んだことなどが考えられる。
  2. ^ もう1つの寺は本町の宮城県神社庁に隣接する満願寺天台宗)。他に仏堂として柳生山教楽院柳町如来堂(柳町大日如来)と北目山賢聖院二十三夜堂(観音堂)がある。
  3. ^ 斉藤実デザイン研究所、鳳山酒造、三瀧山不動院等によって主催された。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 福の神・仙台四郎「にこっ」被災地に元気届け河北新報 2015年6月19日)
  2. ^ a b c d e f g h 仙台四郎の生い立ち(仙台やしゃご屋)… 仙台四郎の親族が運営するサイト
  3. ^ 天保4年(1833年)御城下町割繪圖宮城県図書館
  4. ^ a b c 要説 宮城の郷土誌 (PDF)仙台市民図書館編、1980年3月31目発行)p.265-267 『104「しろばか」について』
  5. ^ 沿革(株式会社 芳賀銃砲火薬店 芳賀火工)
  6. ^ a b 仙台市歴史民俗資料館所蔵資料による
  7. ^ NHK取材「仙台四郎」
  8. ^ a b c d 第30号「仙台四郎」(朝日新聞 2012年04月21日)
  9. ^ 福の神 ~ 仙台四郎(ノビシステムズコーポレーション)
  10. ^ 粟野邦夫『福の神仙台四郎のなぞ』
  11. ^ a b c d 仙台旧城下町に所在する民俗文化財調査報告書 仙台張子・鍛冶屋(仙台市教育委員会)
  12. ^ 朝日神社(宮城県神社庁)
  13. ^ 芭蕉の辻錦絵(文化庁「文化遺産オンライン」)
  14. ^ インテリア美術館ステージ(島田製作所)
  15. ^ 仙台四郎(お茶と和雑貨の店 大正園)
  16. ^ a b c d 商標取消の審決 取消2002-30878(商標審決データベース)
  17. ^ a b c d 無効の審決 無効2003-35213(商標審決データベース)
  18. ^ 仙台初売りの移り変わり(仙台商工会議所)
  19. ^ 「仙台四郎」笑って「Xマス商売繁盛」 サンタ姿で登場(河北新報 2010年11月2日)
  20. ^ せんだい旅日和 スタッフだより
  21. ^ 仙台四郎ら庶民の姿軽快に 幕末仙台のネット漫画好評(河北新報 2013年11月26日)
  22. ^ 仙台四郎物語~福の神になった男(明治座)
  23. ^ 坂井一郎 - 福の神(徳間ジャパン)

参考文献[編集]

  • 大沢忍『不思議な福の神「仙台四郎」の解明 -その実在と世界の分析』、近代文藝社、1994年
  • 仙台市民図書館・種部金蔵・編『要説宮城の郷土誌』、宝文堂、1983年
  • 三原良吉『郷土史仙臺耳ぶくろ』、宝文堂、1972年
  • 『明治の福の神仙台四郎+平成の幸運の女神仙台幸子』(壱号)、2005年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]