介良事件

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介良事件(けらじけん)とは、1972年(昭和47年)8月、高知県高知市東部の介良地区で、当時の中学生数人が両手に乗るサイズの小型未確認飛行物体を捕獲したとされる事件である。介良小型UFO捕獲事件(けら・こがたユーフォーほかくじけん)とも呼ばれる。この事件はマスメディアに大きく取り上げられ、天文家の関勉や作家の遠藤周作が現地へ取材に訪れるなど日本中で話題となった。

事件の概要[編集]

ある日、中学生の友達グループ数人が田んぼのなかで地上1m程のところに静止していたハンドボール大で色とりどりに発光する物体を発見する。気になった中学生達が翌日、同じ田園に行くと、前日と同じ発光する物体の下に灰皿のような奇妙な物体が発見される。その物体は灰皿そっくりであったが、底面中央の正方形の中に直径3ミリほどの穴が多数開いていてまわりに古代壁画のような図柄が描かれていた。

グループのうちの一人が、家へ持ち帰ってその物体を調べようと考え、たんすに収納しておいたが、翌日になると姿を消し、元あった場所にもどっていた。ふたたび友人とともにその物体を確保し、調査のため分解しようとしたり、内部を観察したり水を注ぎこむなどといった実験をする。しかし傷一つつかず、ヤカンの水を飲み込んだという。そのあとも何度か、収納しておいてもまた逃げて元の田んぼにもどり、それをまた確保するという事をくりかえした。最後に一人がひもできつく縛って運ぼうとするが、途中でハンドボール大の発光する物体が出現し何らかの力により引っ張られ、気づいたときには物体は消失していた。この物体は写真をとろうとしてもシャッターがおりなかったり、フィルムが真っ黒になったりしたため、ボヤけた写真が一枚とれたのみであった[1]。なお、ピントが合っており物体が識別できる写真は全て再現模型を映したものである。

これらの経緯に物的証拠はなく、すべて中学生たちの証言により伝えられる事件である。なお、遠藤周作がこの事件に興味を持ち高知まで出向き中学生らを取材。後にエッセイにまとめている[2]

研究[編集]

小型円盤の裏面には、鳥に絡む意味不明の図柄や「静海波」(青海波)と呼ばれる魚の鱗状の規則正しい文様が描かれていた[3]

民間研究団体の日本宇宙現象研究会(JSPS)が現地調査をしており、林大阪支部長は円盤のレプリカをいち早く製作し、後の研究に影響を与えた。

その調査内容は、日本宇宙現象研究会の会誌”未確認飛行物体創刊号”及び林が寄稿している、日本UFO研究会の会誌”JUFORA12・13号”が詳しい。

後日談[編集]

超常現象研究家の志水一夫が、後に事件の目撃者のインタビューを取っている。その際、目撃者の二人が小型円盤の大きさを巡って真剣な言い争いを始めた。作り話なら口裏を合わせるのが普通なため「これは本当に何かあったんだな」という印象を受けた、と志水は語っている[4]

2016年5月3日のNHKラジオ特番「世界奇界遺産」で、フォトグラファー佐藤健寿が、続報を掲載した高知の新聞や当事者を訪れ、伝聞した周囲の中学生は信じていたことを確認するが、中心人物の告白めいた証言も引き出している。

事件に対しての懐疑的な意見[編集]

少年達は全員で9人だが、物体(小型UFO)に不思議な現象が起こる際には必ず中心人物の3人が関わっていた。

関勉の天文仲間の1人に高校教師がいて、赴任先の高校に中心人物の少年が入学した。その教師が事件の真相を少年に尋ねたところ「実は作り事だった」と答えたという情報がある。

近年になり少年達の捕獲した小型UFOの正体は「煙草盆」の一部ではないか?という説がある。 煙草盆とは江戸時代から使われていた、煙草の葉とキセルと灰入れ等を1つの箱にまとめる道具。 その煙草盆の灰皿部分が少年達の捕獲した小型UFOの形に大変に似ているものが見つかっている[5]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]