今田竜二

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Ryuji Imada
Ryuji Imada - 2012-07-25 Bell Canadian Open.JPG
基本情報
名前 今田 竜二
生年月日 (1976-10-19) 1976年10月19日(42歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県三原市
経歴
2009年2月23日現在
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今田 竜二(いまだ りゅうじ、1976年10月19日 - )は、広島県三原市出身のプロゴルファー[1]ジョージア大学中退。173cm68kgB型

略歴[編集]

アマチュア時代[編集]

7歳からゴルフを始める。少年時代、マスターズのテレビ中継を観戦し、強い憧れを抱く。14歳の時、アメリカの環境でゴルフを学びたいという情熱を抑えきれず、ゴルフ留学のため単身アメリカフロリダ州タンパに渡る。当地のゴルフアカデミーで、のちの師となるリチャード・エイブルコーチと出会う。その後、ゴルフアカデミーでのゴルフに限界を感じ、エイブルとの二人三脚で歩み始めることとなる。ジュニア時代には、15歳でアメリカのジュニア・トーナメントに初優勝を記録するなど、全米ジュニアの大会で通算6勝を挙げ、「ゴルフウィーク誌選出最優秀ジュニアプレーヤー」「ロレックス・ジュニア年間最優秀選手賞」などを受賞。全米アマチュアランキングでタイガー・ウッズに次ぐ2位になるなど、輝かしい経歴を持つ。

その後、ジョージア大学に進学した後も活躍は続き、大学2年のときに全米大学ゴルフ選手権団体で優勝し、個人戦でもルーク・ドナルドに次ぐ2位となる。同年(1999年)、ジョージア大学を中退、プロ入りする。

プロ転向後[編集]

今田はプロ転向後、PGAツアーの下部組織、ネーションワイド・ツアー(当時の名称は「バイドットコム・ツアー」(BUY.COM TOUR)に参戦を開始する。この年に「バージニア・ビーチ・オープン」で初優勝を挙げた。しかしこの後、レギュラー・ツアーの「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School)の通過に失敗が続く。2002年に2軍組織の名称は「バイドットコム・ツアー」から「ネーションワイド・ツアー」に変更される。2004年、今田はネーションワイド・ツアーの「BMWチャリティープロアマ At The Cliffs」(サウスカロライナ州開催)で優勝し、賞金ランキング3位に入った。以前は2軍(バイドットコム・ツアー → ネーションワイド・ツアー)からレギュラー・ツアーへの昇格条件は年間賞金ランキング「15位以内」であったが、2004年度から「20位以内」と枠が広げられたため、この資格で今田は2005年度レギュラー・ツアーのシード権を獲得し、PGAツアーのメンバーとなった。

2005年度の今田は「ブーズアレン・クラシック」の5位入賞が自己最高成績であったが、全米オープンゴルフで15位に食い込んだ。こうして年間賞金ランキングは121位となり、2006年度もレギュラー・ツアーのシード権を維持した。なお、年間賞金ランキングを125位以内で終えることがシード権確保の条件である。

2006年度は、シード選手として丸山茂樹田中秀道とともにPGAツアーにフル参戦する。同年6月、全米オープン選手権で通算9オーバー(289ストローク)の12位と奮闘、4大メジャー大会自己最高位でフィニッシュした。優勝したジェフ・オギルビーとは4打差だった。

2007年度のAT&Tクラシックでは2日目に首位タイに躍り出ると、最終日まで首位タイを守り、同年のマスターズを制したザック・ジョンソンとのプレーオフとなったが、1ホール目の第2打を池に入れてしまい惜しくも敗れた。この年はEDSバイロン・ネルソン選手権でも9位に入り、年間賞金ランキングは前年の92位から65位まで上昇した。

2008年度は年明けから好調を維持しタイガー・ウッズが4連覇を果たしたビュイックインビテーショナル(Torrey Pines, San Diego, CA)でタイガーに次ぐ単独2位となった。特に最終日風と雨の天候の中、9つのバーディパットを決めスコア自体も最終日はタイガーを凌駕した。さらにポッズ選手権でも2位タイと好調を維持しており世界ゴルフ選手権CA選手権に出場し34位となる。日本ツアーへの凱旋も期待されるが、本人の最終目標はマスターズの優勝とかつて語ったことがある。

2008年5月18日、アメリカPGAツアーのAT&Tクラシック最終日、首位から3打差でスタートして激しい追い上げを見せ、ケニー・ペリーとのプレーオフに持ち込み、最初のホールで相手がボギーを叩いた後、今田は落ち着いてパーをセーブし、悲願のアメリカPGAツアー初優勝を飾った。日本人のPGAツアー優勝は青木功丸山茂樹に続いて史上3人目となった。 夏場以降は予選落ちも多く苦しんだが、フォールシリーズではターニングストーン・リゾート選手権で3位タイに食い込むなど活躍し、日本人初の獲得賞金300万ドルを達成。年間賞金ランキング13位でシーズンを終えた。11月末には谷口徹とのペアでオメガ・ミッションヒルズ・ワールドカップに初出場し、3位タイの好成績を残した。

2009年は前年のAT&Tクラシック勝利により、幼少時代からの自身の夢であった念願のマスターズに出場、初出場ながら20位タイの好成績を収める。しかし、シーズンを通しては、コンスタントに予選通過を果たすもののトップ10入りゼロに終わり、賞金ランクは118位にとどまる。シード権は前年のPGAツアー勝利により2年間シードが確定していた。

2010年は1月のファーマーズ・インシュランス・オープン、3月のアーノルド・パーマー招待でトップ10に入るなど前半は好調を維持したが、あばら骨の骨折が判明したシーズン途中から低迷し、メジャー大会への出場はゼロに終わった。しかしながら11月のFrys.comで6位入賞、Justin Timberlake Shriners Hospitals for Children Openで8位入賞を果たし、7年連続のシード権を獲得した。

2011年、シーズン序盤から波に乗り切れず、予選落ちが続く。得意としていたトーリーパインズのファーマーズ・インシュランス・オープンではセカンドラウンド突如崩れ、よもやの予選落ちとなる。フェニックス・オープンで13位とするもパッティングの不調からかシーズン序盤戦は13戦中、予選落ちが8戦とシード権を危ぶまれる状況であったが、HPバイロン・ネルソン選手権で突如復調。強風が吹き、厳しい条件下で行われたファイナルラウンドの13番で2位に2ストロークリードする。優勝確実かと思われたが、15番以降、3ボギーとし3位に終わる[2]。また、フェデックス・セントジュード・クラシックでもファイナルラウンド、怒涛の追い上げを見せ3位タイとし、この時点で来期のシード権をほぼ確定させる。しかしながら、これ以降、安定した成績は残せず、12戦中、予選落ちが7回と苦しいシーズンとなった。

2012年、開幕戦のソニーオープンで予選通過するもMDFとし、その後の10試合でも4ラウンドプレーすることなく予選落ちが続く。シーズン中盤以降、予選通過するものの上位フィニッシュはなく、フォールシリーズまでの最高位は10位タイと苦しい戦いが続く。賞金シード確保に向け挑んだレギュラーシーズン最終試合、チルドレンズ・ミラクル・ネットワーク・ホスピタルズ・クラシックの2日目には、2位タイとし、大逆転での賞金シード確保が期待されたが、3日目以降スコアを伸ばすことができず、8年間確保し続けたツアーシードを逃す結果となった。今田自身、「こんなに苦しいシーズンは初めてだった。何度やめたいと思ったことか」と最終戦後のインタビューで語っているように、今後の試練を課せられた1年となった。

プロ優勝歴 (3)[編集]

PGAツアー優勝 (1)[編集]

No. Date Tournament 優勝スコア 打差 2位
1 18 May 2008 AT&Tクラシック −15 (71-69-66-67=273) Playoff アメリカ合衆国の旗 ケニー・ペリー

PGAツアープレーオフ記録 (1–1)

No. Year Tournament 相手 結果
1 2007 AT&Tクラシック アメリカ合衆国の旗 ザック・ジョンソン 1ホール目で相手がバーディーを取り敗れる
2 2008 AT&Tクラシック アメリカ合衆国の旗 ケニー・ペリー 1ホール目でパーを取り勝利

ネイションワイドツアー (2)[編集]

No. Date Tournament 優勝スコア 打差 2位
1 21 May 2000 BUY.COM Virginia Beach Open −13 (71-68-68-68=275) 5打差 アメリカ合衆国の旗 トッド・デンシー
2 2 May 2004 BMW Charity Pro-Am at The Cliffs −17 (70-66-65-69=270) Playoff オーストラリアの旗 ポール・ガウ

脚注[編集]

  1. ^ 中国新聞、2011年1月4日24面
  2. ^ NHK G-Media:PGAツアー HP バイロン ネルソン チャンピオンシップ 2012年大会の紹介の中に、2011年の今田の活躍が紹介されている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]