今村豊

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今村豊
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地

山口県小野田市

(現 山陽小野田市)
生年月日 (1961-06-22) 1961年6月22日(59歳)
身長 162cm
体重 50kg
血液型 A型
競艇選手情報
所属 山口支部
登録番号 2992
登録期 48期
級別 A1級
弟子 柳瀬興志(3661)
白井英治(3897)
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1981年5月7日
選手引退日 2020年10月8日
SG優勝 7
GI/PGI優勝 48
GII優勝 2
GIII優勝 5
一般戦優勝 80
通算優勝 142
通算勝率 7.76
通算勝利 2880
主要獲得タイトル
  • 総理大臣杯(2004年)
  • 笹川賞(1984年)
  • モーターボート記念(1992年、2010年)
  • 全日本選手権(1987年、1988年、1990年)
  • GI 新鋭王座決定戦(1987年)
  • GI 名人戦(2011年)
  • PGI マスターズチャンピオン(2015年、2017年)
  • 最優秀新人賞(1983年)
  • 最高勝率(1986年、1990年、
    1991年、1992年、1997年、
    1998年、2001年、2004年)
  • 最優秀選手(1990年、1992年、2004年)
  • 最多優勝(1992年)
  • 最多獲得賞金(2004年)
  • 特別賞(2020年)
  • 最多最高勝率受賞回数(8回)
  • 最多記者大賞受賞回数(5回)
  • 最多通算優出回数(410回)
  • 最長最上(A級・A1級)級継続記録(78期)
  • 最速年間獲得賞金1億円到達(5月18日)
  • 最年長ナイターSG優勝(49歳2か月)
  • 最多ボートレースダービー優勝(3回)
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今村 豊(いまむら ゆたか、1961年6月22日[1][2] - )は、山口県山陽小野田市(旧小野田市)出身[2]の、元競艇選手。登録番号2992、48期。山口支部所属。身長162cm、体重50kg、血液型はA。ニックネームは、「艇界のプリンス」[3]、「今やん」、「ミスター競艇」。妻は元競艇選手の庄島真知子 (2996)。

来歴[編集]

1961年6月22日山口県小野田市(現在の山陽小野田市)に生まれる[2]
山口県立小野田工業高等学校卒業。父親自身も競艇選手への憧れを抱いていたが、下関競艇場の守衛に諭されて受験をすることすら叶わなかったため「息子を競艇選手にしたい。」という願望があった[4]。今村自身も高校を卒業するにあたり、一般企業への就職を考えていたが、求人票に掲載されている会社員の初任給に疑問を感じ、競艇選手のパンフレットを取り寄せ当時の選手の平均年収が決定打となり父親の思いと共に競艇選手を目指した。
第48期選手養成員として、本栖研修所に入所。「本栖の転覆王」と言われながらも、スピードをつけて旋回をする猛練習を重ねる。在所中のレース勝率は入所生の中で第2位。
デビュー戦で初勝利をあげると、そのまま優出まで駒を進める。(3着)デビュー期に6.20の勝率を残し、半年でC級からA級へ特進を果たす[5]
デビューしてから、"280日"でG1初出場、"360日"でSG初出場、"1年2か月"でG1初優出・初優勝、"1年5カ月"でSG初優出、"2年11カ月"でSG初優勝というスピード出世を果たす。当時4つあったSGレースすべてにデビュー"1年半"のうちに出場し[5]1982年最優秀新人賞を受賞。(賞金ランキングは7位) 特に、SG初優勝となった笹川賞では、デビュー最短の2年11カ月・史上最年少22歳(当時)記録で優勝した。(8年後の1992年服部幸男により最年少記録を更新、デビュー最短記録は並ばれている。)
代名詞の全速ターンで艇界のトップレーサーとなり、1986年に創設された、賞金王決定戦にも最年少として参戦し、翌1987年、「最高峰のレース」と目標にしていた全日本選手権を制覇した。1987年1988年1990年と全日本選手権を連覇を含めV3とするだけではなく、1986年、1990年~1993年と最高勝率選手として表彰、1992年はモーターボート記念で、5回目のSG優勝を果たすと、年間最多優勝回数を記録した。1987年の全日本選手権の優勝者表彰では、橋本龍太郎運輸大臣(当時)と一般財団法人日本船舶振興会笹川良一会長に直接表彰された。
1990年・1992年と最優秀選手としても表彰され、安定感のある強さからファンに支持され、バブル景気真っ只中の競艇業界の売上をけん引し、選手生活の全盛期として20代後半から30歳代前半を過ごした。しかしながら、1993年頃から特定疾患(=難病)の一種であるメニエール病を患い、めまいや耳鳴りなどに悩まされることも多く一時はレースを欠場することも多くなっていた。最低体重制度の導入によって、アドバンテージも少なくなってきた中、持病も相まって、競艇選手として円熟期である30歳代後半は苦しい時代も続いたが、1997年1998年と2年連続で通算5・6回目となる最高勝率選手として活躍したするも、しばらくの間G1で優勝はできるもののSG優勝からは遠ざかっていた。
2004年総理大臣杯では、恵まれであったものの11年7カ月ぶりに6回目となるSGを制覇。会見では涙をぬぐった。この勝利により、公営競技選手として初の生涯獲得賞金20億円を突破することになり、同年5月には史上最速で年間賞金1億円を突破する。年末の賞金王決定戦で優勝することはできなかったが、年間獲得賞金は堂々の第1位となり、8回目の最高勝率選手と3回目の最優秀選手として表彰され復活を象徴する1年となった[6]
2007年には、通算2000勝を達成。
2010年からは、名人戦の出場権を獲得し、ベテランの域になるが、同年8月に行われたでは、49歳2か月で7回目となるSG優勝を果たす。この年のSG戦線は、総理大臣杯では山口剛、笹川賞では岡崎恭裕グランドチャンピオン決定戦では湯川浩司オーシャンカップでは、石野貴之と、登録番号が4000番台のSG覇者が続出し、世代交代が感じられるSG戦線であったが、蒲郡競艇場でナイター開催となったSG第5戦となるモーターボート記念で優勝したのは、登録番号2000番台の今村であった。1周1マークを、本人曰く「一か八かの大勝負」のターンで外枠勢を抑え優勝を飾った。この優勝はナイター開催SGでの最年長優勝記録として残っている。(某競艇専門誌では3000番台の選手に辛辣な意見もあったが、その甲斐があったのかSG第6戦となる全日本選手権では、登録番号3000番台が奮起し瓜生正義が優勝した。)
2011年、名人戦出場資格獲得2年目にして優勝。
2014年、52歳で出場した2014年ボートレースオールスターと53歳で出場したグランドチャンピオンでは連続優出を果たし、安岐真人が持つSG最年長優勝記録にあと一歩まで迫った。(結果は、2着・3着)
2015年マスターズチャンピオンでは、パーフェクト優勝を果たしV2を達成。ベテランとなってからも実力を遺憾なく発揮し、2017年も同競走を優勝しマスターズチャンピオンでは最多となるV3を達成した。
2020年5月、北原友次が残していた77期連続最上級(A級→A1級)という記録を更新。デビューしてから一度もA2級・B級に陥落することがないどころか、勝率6点台を記録し続けた。同年9月地元山口県・ボートレース徳山で開催されたG1ダイヤモンドカップを以って選手生活のピリオドを打つ。10月8日に選手登録を抹消し40年間の現役引退を発表。引退の理由として、2020年11月より最低体重が52kgに引き上げられるため、元から体重が軽い今村にとって体重管理が限界になることを挙げた[7]。引退セレモニーは、BOATRACE六本木・SIX WAKEにて実施され、コロナ禍の中で入場制限がかかる中でも多くの報道陣が訪れ、引退を惜しんだ。バブル絶頂期のライバルであった植木通彦から花束を受け取り、同日ボートレース平和島で開催されていたG1「第66回トーキョーベイ・カップ」に出場中の愛弟子白井英二寺田祥からも惜別の動画が上映された。(尚、白井は1号艇で優勝戦まで進出したものの、4コースから瓜生正義にまくられている。瓜生も惜別の動画でコメントを残しているが、一番の結果で成果を残した。) また、新たに設置されるボートレース殿堂[注 1]の第1号に内定したことが発表された[8]
引退後も、各ボートレース場に於いて、独自の引退セレモニーが行われるなど、最後までファン・関係者に愛された偉大なるレーサーである。

全速ターンを武器に、1982年前期から2020年に引退するまでに78期連続でボートレース最上級のA級・A1級を維持し、ボートレース史上最長の連続A1級の記録など、数々の記録を持ち、研修所時代に「本栖の転覆王」と言われながら、猛練習の末に会得した「全速ターン」と「全速モンキー」を武器に「今村以前と以後では競艇が変わった」といわれるほどの天才であり、努力家である。
野中和夫は後年の競艇番組の収録の際のインタビューで「(今村が台頭してきた)あの時分は全速ターンをする奴なんかおらんかった」と語った。実際、デビュー当時はターンマークではスピードを落とすことが常識だったのだが、それとは正反対にできるだけスピードを落とさずに旋回し、アウトコースから勝利をもぎ取る革命児であった。
若手時代、ベテラン時代と現役生活を通してファンの人気やレース場からの信頼も厚く、ファン投票によるボートレースオールスター出場35回と施行者推薦によるボートレースメモリアルへの出場34回を記録し、歴代1位を記録している。
選手生活を続ける中で病魔が突如再発し今村を悩ませることとなったが、引退までトップクラスのレーサーとして君臨し続けた。人格者でもあり、後輩達を威圧するようなことや、わざとボートを激しくぶつけながらのレースは行わず、クリーンなレースをする事を自らに課していたため、彼を慕う者も数多い。

選手経歴[編集]

  • 1980年、第48期選手養成員として本栖研修所に入所。
  • 1981年3月21日、選手登録。
  • 1981年5月7日徳山競艇場の一般戦でデビュー。デビュー戦でいきなり1着を取り、そのまま優出(3着)まで駒を進める。
  • 1982年2月11日児島競艇場で開催された G1「中国地区選手権」にデビュー280日でG1初出場を果たす。
  • 1982年4月1日蒲郡競艇場で開催された 一般戦で初優勝。
  • 1982年5月2日住之江競艇場で開催された 第10回笹川賞にてSGでSG初出場。
  • 1982年7月1日丸亀競艇場で開催された G1「開設30周年記念」でGI初優出・初優勝[9]
  • 1982年10月7日桐生競艇場で開催された 第29回全日本選手権でSG初優出[10]
  • 1982年、最優秀新人賞を受賞。
  • 1984年4月29日、浜名湖競艇場で開催された 第11回笹川賞をデビュー最短の2年11カ月・史上最年少の22歳記録(当時)で優勝[11]
  • 1986年、最高勝率選手として表彰される。(1回目)
  • 1987年平和島競艇場で開催された SG「第34回全日本選手権」で優勝[12]。通算SG2勝目。
  • 1988年多摩川競艇場で開催された SG「第35回全日本選手権」で優勝[13]。2連覇。通算SG3勝目。
  • 1990年戸田競艇場で開催された SG「第37回全日本選手権」で優勝[14]。全日本選手権V3。通算SG4勝目。
  • 1990年、最優秀選手(1回目)、最高勝率選手(2回目)として表彰される。
  • 1991年、最高勝率選手として表彰される。(3回目)
  • 1992年浜名湖競艇場で開催された モーターボート記念で優勝[15]。通算SG5勝目。
  • 1992年、最優秀選手(2回目)、最高勝率選手(4回目)、最多優勝回数選手(1回目)として表彰される。
  • 1997年、最高勝率選手として表彰される。(5回目)
  • 1998年、最高勝率選手として表彰される。(6回目)
  • 2001年、最高勝率選手として表彰される。(7回目)
  • 2004年3月23日、福岡競艇場で開催されたSG「第39回 総理大臣杯」で11年7カ月ぶりにSG優勝[16]。通算SG6勝目。公営競技選手初の生涯獲得賞金20億円突破。
  • 2004年5月18日、史上最速で年間獲得賞金1億円を突破。
  • 2004年、最優秀選手(3回目)、最多賞金獲得選手(1回目)、最高勝率選手(8回目)として表彰される。
  • 2007年1月17日、ボートレース丸亀で開催された G3「第16回JR四国ワープ杯競走」2日目第12Rで通算2,000勝達成。
  • 2010年4月競艇名人戦の出場資格取得(当時48歳以上)1年目で初出場、初優出(2着)[17]
  • 2010年8月、ボートレース蒲郡で開催された SG「モーターボート記念」で優勝。通算SG7勝目。2000番台の選手では初めてSGナイター競走の覇者になった[18]。ナイター開催SGでの最年長優勝記録。2000番台で唯一SGナイター覇者。
  • 2011年4月19日、名人戦出場資格取得2年目で初優勝[19]
  • 2014年3月22日ボートレース徳山で開催された 一般戦「BOATRACE徳山60thグランプリファイナル」5日目第12R(準優勝戦)に勝利し、通算2,500勝を達成[20]
  • 2017年4月20日、ボートレース芦屋で開催された 一般戦「MBP嘉麻オープン5周年記念」で優勝し、史上18人目となる全24ボートレース場全場制覇を果たす。[21]
  • 2018年10月23日、ボートレース蒲郡で開催された SG「第65回 ボートレースダービー」5日目第5Rで、現役最後となるSGでの勝利を果たす[22]
  • 2020年4月21日、ボートレース津で開催された G1「第21回 マスターズチャンピオン」5日目第7Rで、現役最後となるPG1での勝利を果たす[23]
  • 2020年7月28日ボートレース津で開催された 一般戦「津PR第2戦熱いぜ!夏男大集合」で、通算142回目、現役最後となるとなる優勝を果たす[24]
  • 2020年9月13日、ボートレース宮島で開催された G1「開設66周年 宮島チャンピオンカップ」4日目第7Rで、通算2880勝目、現役最後となる勝利を果たす[25]
  • 2020年9月28日、ボートレース徳山で開催された G1「ダイヤモンドカップ」6日目第5Rがラストランとなった[26]。(5着)
  • 2020年10月8日、選手登録を消除し39年5カ月に及ぶ選手生活を引退[27]。BOATRACE六本木内 SIX WAKEにて引退記者会見を行った。併せて、新設される「BOATRACE殿堂」の第1号として殿堂入りに内定したことが発表された[28]
  • 2020年特別賞を受賞[29]。受賞理由は39年を超える選手生活の中で、78期連続最上位級を継続しSG競走7回、G1競走48回の優勝を記録するなど、長年にわたり業界発展に著しく功績があったため。

SG・GI優勝[編集]

SG[編集]

プレミアムGI・GI[編集]

その他、ダイヤモンドカップなど通算48勝。

戦績[編集]

  • 実働39年5か月
  • 出走回数 8,207回
  • 優出回数 410回
  • 優勝回数 142回
  • 1着 2880回
  • フライング(F)回数:59回
  • 出遅れ(L)回数:3回
  • 通算勝率 7.76
  • 2連対率:55.94
  • 3連対率:71.75
  • 生涯獲得賞金 2,944,446,172円
  • 初出走 1981年5月(ボートレース徳山
  • 初優勝 1982年4月(ボートレース蒲郡
  • SG初出場 1982年5月 笹川賞(ボートレース住之江
  • SG初優勝 1984年10月 笹川賞(ボートレース浜名湖
  • SG優出 47回
  • SG優勝 7回
  • G1優出 182回
  • G1優勝 48回
  • G2優勝 2回
  • G3優勝 5回
  • 最優秀新人賞(1983年)
  • 最高勝率(1986年、1990年、1991年、1992年、1997年、1998年、2001年、2004年)
  • 最優秀選手(1990年、1992年、2004年)
  • 最多優勝(1992年)
  • 最多獲得賞金(2004年)
  • 24ボートレース場制覇(2017年)
  • 78期連続最上級(A級→A1級)

人物・エピソード[編集]

  • 今村は自身について「人とケンカしたことさえなく、勝負師の気質はない」と分析し、レーススタイルについて「われ先にとインに侵入して、ゴチャゴチャ混み合う場所でプレーするのが、気質的に苦手」、「アウトからセンターあたりのコースから、勝つんならスッキリ勝ちたい」と語っている[30]
  • 今村のマスコミに対するコメントは紳士的であり、また信頼性が高いためファンからも絶大なる人気を誇る。
  • 毎年、冬場になると、脚力強化のために弟子や仲間を連れ立ってスキー場で数日間スキー合宿をする。かつては朝一番からナイターまで滑っていたが、後にそこまではしなくなったとの事。わざと難しいコースを選んで滑れるほどの腕前を持っている。
  • 2009年8月26日丸亀競艇場で行われたモーターボート記念競走2日目3Rで阿波勝哉が6コース進入のため後ろに艇を引いた際、今村はスローの状態で岩壁近くまで艇を流して阿波の進入を防ぎ、阿波は5コース進入を余儀なくされた(進入体形は阿波が5コースダッシュ、今村が6コーススローという奇妙な形となった)。結果、今村は2着、阿波は6着だった。レース後のピット裏ではこのレースを見た多くの選手にからかわれたという。
  • 2012年ボートレース大村が実施した「歴代最強レーサー 次世代に語り継ぎたいファン投票」では、1位(2912票)に輝いた[31]

全速ターン[編集]

本栖訓練所の訓練生だった頃、教官から「全速ターン」の存在を告げられ、「恐ろしくなかったら(スロットルレバーを一杯に)握っていい」と言われた今村は、「本栖の転覆王(ドボンキング)」と周りにあだ名されてしまうほど全速ターンの練習を繰り返した。デビュー後も試行錯誤を続け、「今村全速ターン」と呼ばれる全速ターンを身に着けるに至った[32]。今村はデビューから破竹の勢いを見せ「コーナーではスピードを落とす」が常識だった当時の競艇界の常識を塗り替えた。

TV出演[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 競技の名称を「BOATRACE」とした2010年度以降に引退した選手を対象とし、BOAT RACE振興会の選考委員会が認定した選手を表彰。

出典[編集]

  1. ^ 蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P158。
  2. ^ a b c 木村1992、12頁。
  3. ^ 木村1992、36-37頁。
  4. ^ 木村1992、13頁。
  5. ^ a b 木村1992、9頁。
  6. ^ ミスター競艇 今村豊 (後編)
  7. ^ “艇界の〝レジェント〟今村豊が引退 やり残した賞金王は「(弟子の)白井英治が取ってくれる」”. 東京スポーツ. (2020年10月8日). https://www.tokyo-sports.co.jp/race/boat/2259351/ 2020年10月8日閲覧。 
  8. ^ 今村豊元選手をBOATRACE殿堂(仮称)入り第1号に内定!”. BOATRACE (2020年10月8日). 2020年10月8日閲覧。
  9. ^ 京極賞”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  10. ^ 第29回全日本選手権”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  11. ^ 第11回笹川賞”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  12. ^ 第34回全日本選手権”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  13. ^ 第35回全日本選手権”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  14. ^ 第37回全日本選手権”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  15. ^ 第38回モーターボート記念”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  16. ^ 第39回総理大臣杯”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20040328). 20210122閲覧。
  17. ^ 第11回名人戦”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  18. ^ 第56回モーターボート記念”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  19. ^ 第12回名人戦”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  20. ^ BOATRACE徳山60thグランプリファイナル”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20140322). 20210122閲覧。
  21. ^ 登録第2992号 今村 豊 選手(山口)が24場制覇達成!”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20170424). 20210122閲覧。
  22. ^ 第65回ボートレースダービー”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20181023). 20210122閲覧。
  23. ^ 第21回マスターズチャンピオン”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20200425). 20210122閲覧。
  24. ^ 津PR第2戦熱いぜ!夏男大集合”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20200731). 20210122閲覧。
  25. ^ 宮島チャンピオンカップ開設66周年”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20200913). 20210122閲覧。
  26. ^ ダイヤモンドカップ”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20200928). 20210122閲覧。
  27. ^ ボートレース界のレジェンド 今村 豊選手(59歳)が引退”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20200731). 20210122閲覧。
  28. ^ 今村豊元選手をBOATRACE殿堂(仮称)入り第1号に内定!”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE (20201008). 20210122閲覧。
  29. ^ 「令和2年優秀選手」各表彰者を決定!~登録第4320号 峰 竜太 史上初!5冠達成!~”. BOATRACE OFFICIAL WEB SITE. 20210122閲覧。
  30. ^ 木村1992、13-14頁。
  31. ^ BOAT RACE大村60周年記念 次世代へ語り継ぎたいファン投票
  32. ^ 木村1992、8-11頁。
  33. ^ [1]BOATRACE OFFICIAL WEB SITE” (20170614). 20210122閲覧。

参考文献[編集]

  • 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0
  • 木村幸治『水上の格闘者たち』講談社、1992年。ISBN 978-4-06-204715-9

外部リンク[編集]