今村恭太郎

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今村 恭太郎(いまむら やすたろう、1869年6月19日明治2年5月10日) - 1936年昭和11年)12月7日)は、日本裁判官日比谷焼打事件裁判長などを務め、借地借家法の功労者としても知られる。妻・菊子は伍堂卓爾の六女で[1]、海軍軍人で実業家、政治家の伍堂卓雄の妹。

略歴[編集]

エピソード[編集]

関東大震災発生時には東京地方裁判所所長であり、岡慶治(日比谷焼討事件の左陪審 [注釈 1])は浦和地方裁判所所長であった。

裁判例[編集]

  • 堺利彦新聞紙條例違反事件 - 1904年4月5日判決「被告を軽禁錮3か月に処す。被告発行平民新聞はその発行を禁ず。押収の平民新聞1枚は所有者に還付す。」[3]
  • 「小学教師に告ぐ」事件 - 1904年11月11日判決 [4]
  • 共産党宣言事件 - 1904年12月20日判決「被告光次郎伝次郎、利彦を何れも罰金80円に処す。」 [5]

栄典[編集]

位階
勲章等

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 本郷教会教会員。
出典
  1. ^ 『人事興信録 2版』(人事興信所、1908年)93頁
  2. ^ 東京弁護士会事務所 『東京弁護士会史』、1935年。
  3. ^ 田中惣五郎 1947, p. 417.
  4. ^ 田中惣五郎 1947, p. 456.
  5. ^ 田中惣五郎 1947, p. 481.
  6. ^ 『官報』第3416号「叙任及辞令」1924年1月15日。
  7. ^ 『官報』第1773号「叙任及辞令」1918年7月1日。

参考文献[編集]