今村恭太郎
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今村 恭太郎(いまむら やすたろう、1869年(明治2年)5月10日 - 1936年(昭和11年)12月7日)は、日本の裁判官。日比谷焼打事件の裁判長などを務め、借地借家法の功労者としても知られる。
略歴[編集]
- 1869年 今村信行(大審院判事)の長男として出生。明治法律学校卒業。
- 1893年 判事検事登用試験に合格し、司法官試補となる。長野区裁判所に赴任。
- 1896年 下谷区裁判所判事
- 1897年 東京区裁判所判事
- 1901年 東京地方裁判所判事
- 1902年 東京控訴院判事
- 1903年 東京地方裁判所部長
- 1910年 東京控訴院部長
- 1913年 神戸地方裁判所長、高等官二等
- 1919年 横浜地方裁判所長
- 1920年 東京地方裁判所長、高等官一等
- 1927年 広島控訴院長
- 1936年 死去。68歳。
栄典[編集]
- 位階
- 勲章等
脚注[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 『法律論叢第 69 巻』(明治大学 1997)