今村勤三

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今村 勤三(いまむら きんぞう、1851年3月1日 - 1924年10月26日)は、実業家・政治家。奈良県安堵町生まれ。銀行家・今村幸男、大阪大学第5代総長・今村荒男、大日本紡績常務取締役・今村奇男の父。天誅組の立役者・今村文吾の甥。


生い立ち[編集]

家は代々庄屋をつとめ、現在は安堵町歴史民俗資料館として一般公開されている。 明治14年に大阪府会議員になったが、府の地方税の過重を憂い、奈良県の再置運動に私財を投じた。明治20年11月に奈良県の独立が認可され、初代奈良県会議長に就任した。明治21年には四国讃岐鉄道会社の社長に就任。明治22年に辞退。

中央政界に進出[編集]

1890年(明治23年)7月1日の第1回衆議院議員総選挙で当選。大隈重信改進党衆議院議員として活躍した。そのほか奈良鉄道会社の社長、郡山紡績会社の社長に就任するなど、政界・実業界にわたり活躍した[1]。なお郡山紡績は、明治40年6月30日に摂津紡績に合併され、摂津紡績は大正7年6月1日に尼崎紡績と合併し大日本紡績(現ユニチカ)となった。

脚注[編集]

  1. ^ 『大阪大学歴代総長余芳 大阪大学編』大阪大学出版会、2004、 ISBN 4872591798

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]