今市大念寺古墳
| 今市大念寺古墳 | |
|---|---|
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墳丘全景(左に後円部、右に前方部) 手前はJR西日本山陰本線・一畑電車北松江線。大念寺境内は裏手に所在。 | |
| 所在地 | 島根県出雲市今市町鷹の沢 |
| 位置 |
北緯35度21分47.24秒 東経132度45分53.15秒座標: 北緯35度21分47.24秒 東経132度45分53.15秒 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長92m 高さ7m(後円部) |
| 埋葬施設 |
両袖式複室横穴式石室 (内部に家形石棺1基、組合式石棺1基) |
| 出土品 | 金銅製履・鉄製武具・馬具・埴輪など |
| 築造時期 | 6世紀後半 |
| 史跡 | 国の史跡「今市大念寺古墳」 |
| 有形文化財 | 出土品(出雲市指定文化財) |
| 特記事項 | 家形石棺は日本最大級の規模 |
| 地図 |
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今市大念寺古墳(いまいちだいねんじこふん)は、島根県出雲市今市町鷹の沢にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定され、出土品は出雲市指定有形文化財に指定されている。
出雲地方(島根県東部地域)では前方後円墳としては最大規模の古墳で[注 1]、6世紀後半(古墳時代後期)頃の築造と推定される。埋葬には日本最大級の家形石棺が使用されている。
概要[編集]
島根県東部、出雲平野中央部において、平野を望む丘陵端に築造された大型前方後円墳である[1]。大念寺の堂宇に隣接し、現在の古墳域は大念寺境内に包含される[2]。古墳名の「今市」は地名。文政9年(1826年)の大念寺境内拡張の際に石室が開口し、古墳として認識されたという[3]。その後、1981-1983年度(昭和56-58年度)に発掘調査が実施されている[3]。
墳形は前方後円形で、前方部を東方に向ける。堂宇建立および災害により特に墳丘北側で破壊が激しいが[1]、墳丘長は約92メートルを測り、前方後円墳としては出雲地方では最大の規模になる[4][注 1]。墳丘築造は、古墳としては珍しく版築による[2]。墳丘表面からは円筒埴輪が検出されているが、葺石は認められていない[1]。主体部の埋葬施設は両袖式・複室式の横穴式石室で[2]、後円部において西南西方に開口する[1]。この石室では、前述の江戸時代における石室開口の際に多数の副葬品が出土しており、現在はその一部が大念寺に伝世されている[2]。
この今市大念寺古墳は、古墳時代後期の6世紀後半頃の築造と推定される[2][4]。版築は畿内では7世紀頃から見られる手法で、本古墳の築造当時としては極めて進んだ技術になり、当時の出雲の先進性および本古墳被葬者の有力性が指摘されている[2][3]。この先進性と、『出雲国風土記』神門郡日置郷条に見える渡来系氏族の日置氏との関連を指摘する説もある[5]。
古墳域は1924年(大正13年)に国の史跡に指定されている[6]。なお周辺では、四隅突出型墳丘墓の西谷墳墓群、および塚山古墳・上塩冶築山古墳・上塩冶地蔵山古墳などの古墳の分布が知られる。大念寺古墳の権力は、そのうちの築山古墳・地蔵山古墳へと継承されたと推測される[4]。
来歴[編集]
- 享徳元年(1452年)、浄土宗大念寺の創建(寺伝)[7]。
- 文政9年(1826年)、石室発見と副葬品出土[1]。
- 1924年(大正13年)12月9日、国の史跡に指定[6]。
- 1980年(昭和55年)10月、羨道部が崩落[5]。
- 1981-1983年度(昭和56-58年度)、保存修理工事に伴う発掘調査(出雲市教育委員会)[3]。
構造[編集]
古墳の規模は次の通り[4]。
- 墳丘長:約92メートル
- 後円部
- 直径:約45メートル
- 高さ:約7メートル
埋葬施設[編集]
埋葬施設としては、両袖式で複室の横穴式石室が使用されている[2]。石室は割石で築かれ、玄室(奥室)・前室・羨道から成り、奥行きは約12.8メートルもの長大さを測る[2][3]。石室各部の規模は次の通り[4]。
- 玄室(奥室)
- 長さ:5.8メートル
- 幅:2.9メートル
- 高さ:3.3メートル
- 前室
- 長さ:3.1メートル
- 幅:2.4メートル
- 高さ:2.0メートル
- 羨道
- 長さ:2.5メートル
- 幅:1.6メートル
- 高さ:1.8メートル
玄室(奥室)には大型の刳抜式家形石棺(大棺)が据えられているが、この石棺は凝灰岩製で長さ3.3メートル・幅1.7メートル・高さ1.89メートルと全国最大の規模を測り[4][1][2]、その蓋石には縄掛突起6個を有する[3]。この大棺は身の横に四角い口を開いている[4]。
前室にも組合式の家形石棺(小棺)が置かれたが、現在はその基底部のみを残存する[2]。石棺の規模は、長さ1.81メートル(江戸時代の記録より)・幅1.08メートル・高さ0.82メートル(江戸時代の記録より)を測る[4]。大棺同様、この小棺も身の横に口を開いたと見られる[4]。
出土品[編集]
前述の石室では、文政9年(1826年)の古墳発見時に際して次の副葬品などが出土したという[3]。
- 金銅製履
- 金環
- 丸玉
- 大刀
- 槍身
- 斧頭
- 馬鐸
- 轡
- 鈴
- 雲珠
- 須恵器
上のうち多くは散逸したといい、現在は残された絵図(発見7年後の天保4年(1833年)の模写[4])によりその内訳が知られる[1]。現存する一部(鏡板・直刀残欠・須恵器蓋坏など)は現在も大念寺に保管され[3]、出雲市指定有形文化財に指定されている[8]。
文化財[編集]
国の史跡[編集]
- 今市大念寺古墳 - 1924年(大正13年)12月9日指定[6]。
出雲市指定文化財[編集]
- 有形文化財
- 大念寺古墳出土品 一括(考古資料) - 所有者は大念寺。1960年(昭和35年)12月21日指定[8]。
脚注[編集]
注釈
出典
参考文献[編集]
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(島根県教育委員会・出雲市教育委員会、2001年3月設置)
- パンフレット「国指定史跡 今市大念寺古墳」(出雲市文化財課)
- 事典類
- 「大念寺古墳」『日本古墳大辞典』 東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 『日本歴史地名大系 33 島根県の地名』 平凡社、1995年。ISBN 4582490336。
- 「今市村」、「大念寺古墳」。
- 足立克己 「大念寺古墳」『日本古代史大辞典』 大和書房、2006年。ISBN 978-4479840657。
- その他文献
- 川原和人 「史跡今市大念寺古墳」『出雲の考古学』 同成社、2014年。ISBN 978-4886216779。
- 「今市大念寺古墳」『国指定史跡ガイド』 講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
関連文献[編集]
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『史跡今市大念寺古墳保存修理事業報告書』 出雲市教育委員会、1988年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
外部リンク[編集]
- 今市大念寺古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 西谷墳墓群・今市大念寺古墳 - 島根県ホームページ
- 大念寺古墳 - 島根県遺跡データベース
- 今市大念寺古墳 - 出雲市ホームページ