コンテンツにスキップ

今城和久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いまじょう かずひさ
今城 和久
プロフィール
本名 同じ
愛称 ジョー
出身地 日本の旗 日本 兵庫県神戸市
国籍 日本
生年月日 (1974-10-11) 1974年10月11日(51歳)
血液型 A型
最終学歴 早稲田大学大学院人間科学研究科博士前期課程修了
勤務局 NHK和歌山放送局
部署 コンテンツセンター
職歴 京都(1999.6 - 2003.3)→大阪(2003.4 - 2007.3)→神戸(2007.4 - 2011.7)→東京アナウンス室(2011.8 - 2013.6)→ラジオセンター(ディレクター業務、2013.7 - 2014.3)→和歌山(2014.4 - 2018.6)→富山(2018.6 - 2020.7)→神戸(2020.8 - 2023.6)→和歌山(2023.7 - )
活動期間 1999年 -
ジャンル 地域
公式サイト NHK
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照

今城 和久(いまじょう かずひさ、1974年10月11日 - )は、NHKアナウンサー

人物

[編集]

兵庫県神戸市出身[1][2][3]兵庫県立神戸高等学校を経て[3]早稲田大学第一文学部を卒業後、同大学大学院人間科学研究科に進み、博士前期課程を修了後、1999年(平成11年)4月に入局[4]

2020年8月より神戸放送局に帰郷、2023年7月に和歌山放送局へ管理職として、2度目の異動。2025年度より、山田朋生と入れ替わる形で、夕方のニュース番組に復帰した。

好きな食べ物はコロッケ[5]

嗜好・導話

[編集]
  • 趣味は一人旅・楽器演奏(コントラバス・ピアノ・トランペット)・犬と会話[5]
  • 中学高校時代は吹奏楽部に所属。大学時代には早稲田大学交響楽団コントラバス奏者として世界4か国13都市でのホールを巡った経験もあり。入局後もアマチュアオーケストラでの合奏に参加している[6]
  • 趣味が高じて、クラシックに関わるインタビューや番組、イベント[6]に出演をしたり、何度かNHKの番組テーマ曲を作ったこともある[7]

現在の担当番組

[編集]

過去の担当番組・業務

[編集]
京都放送局時代(1999年度 - 2002年度)
  • ニュースかんさい 京都発(キャスター)
大阪放送局時代(2003年度 - 2006年度)
神戸放送局時代(1度目)(2007年度 - 2011年7月)
東京アナウンス室時代(2011年8月 - 2013年6月)
ラジオセンター時代(2013年7月 - 2014年3月)
  • ディレクター業務
和歌山放送局時代(1度目)(2014年度 - 2018年6月)
  • あすのWA!(2014年3月31日 - 2016年6月)- キャスター
  • わかやま845(不定期)
  • FMラジオニュース(不定期)
  • ゆく年くる年(金剛峯寺からの中継:2014年12月31日)
  • アナウンス統括(2016年6月 - 2018年6月)
  • ラジオ防災特番 「『稲むらの火』を世界に ~世界津波の日」(2016年11月5日)- 進行
  • ラジオ防災講座(2017年4月 - 2018年6月)
  • ぐるっと関西おひるまえ・和歌山(編責)
  • 和歌山放送局制作番組の編責
富山放送局時代(2018年6月 - 2020年7月)
神戸放送局時代(2度目)(2020年8月 - 2023年6月)
和歌山放送局時代(2度目)(2023年7月 - )

脚注

[編集]
  1. 『NHKステラ』2002年7月号
  2. 『NHKステラ』2003年7月号
  3. 1 2 『NHKステラ』2004年7月号
  4. 同期入局のアナウンサー:有田雅明一橋忠之北野剛寛杉岡英樹高瀬耕造近田雄一塚本貴之、永松隆太朗、早瀬雄一山田賢治横林良純
  5. 1 2 『NHKアナウンス室』https://www.nhk.or.jp/a-room/profile/000/74/
  6. 1 2 『「はじめてのオーケストラ」大阪シンフォニカー交響楽団名曲コンサート』チラシ(2008年) https://www.city.tanabe.lg.jp/bunshin/event/2008event/files/2008osakasym.pdf
  7. 『NHKアナウンス室』https://www.nhk.or.jp/a-room/profile/000/74/
  8. 2024年度までは編集責任、山田朋生のキャスター代行など。
  9. 「震災メッセージ」コーナーの制作も行ってきた。
  10. 神戸放送局勤務時から担当し、東京アナウンス室への異動後も2011年10月放送分まで引き続き担当していた。神戸・東京勤務時は、毎月1回の放送のため大阪放送局へ出張した。

外部リンク

[編集]