仇世婦

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仇世婦(きゅうせいふ、生没年不詳)は、冉魏の皇帝冉閔世婦中国語版(側室)。

生涯[編集]

馮翊郡重泉県の人。仇嵩の長女として生まれた。容色が優れており、はじめ冉閔の後宮に入って、世婦となった。

冉魏の永興3年(352年)、冉閔が前燕慕容儁に敗れると、捕虜となった。仇氏は部将の慕容勝(後の豆盧勝)に妻として下賜され、のちに盧魯元を生んだ。

従兄弟の仇洛斉(仇嵩の妹の子)は北魏宦官になった。弟の仇広の孫娘(仇牛の娘)は北魏の南安王拓跋楨の妻で章武王元彬の母。

伝記資料[編集]