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『京城新聞』(けいじょうしんぶん)、後の『京城新報』(けいじょうしんぽう)は、大韓帝国期末期、並びに日本統治時代の朝鮮、京城(現:ソウル特別市)で発行されていた新聞。1907年11月3日創刊。
創刊当初は日本の朝鮮統治に対しては肯定的だったが、統監府、また総督府の政策をたびたび批判、その都度、統監府や総督府から停刊処分を受けた。そして1912年(明治45年)、1218号を発行したところで廃刊処分となった。