交響曲第2番 (ブルックナー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
音楽・音声外部リンク
全曲を試聴する
BRUCKNER’S Symphony_No.2 - スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ指揮エーテボリ交響楽団による演奏。エーテボリ交響楽団公式Vimeo。
Bruckner - Symphony_No.2 - ケース・バケルス指揮Symfonieorkest Vlaanderen(フランダース交響楽団)による演奏。Symfonieorkest Vlaanderen公式YouTube。

アントン・ブルックナー交響曲第2番ハ短調は、1872年に最初の稿が完成された交響曲であり、彼が番号を与えた2番目の交響曲にあたる。

作曲の経緯[編集]

1868年、44歳のブルックナーは、ウィーンに移り、ウィーン音楽院通奏低音対位法オルガンの教授とウィーン宮廷礼拝堂オルガン奏者の地位に就いた。同時にそれまでのリンツ大聖堂リンツ市立聖堂のオルガン奏者の地位は、その後2年間兼任した。翌1869年4月にはナンシーへ旅行をした。その後、パリに赴きオルガン演奏会を開いたところ、サン=サーンスフランクに絶賛される。これに自信を得たブルックナーは、1871年ロンドンでオルガン・コンクールに出席し、8月には第1位を獲得した。その後しばらくロンドンで過ごした後、10月11日に第2交響曲を書き始めた。

ブルックナーは、交響曲第1番のあと、1869年にニ短調の交響曲を作曲し、当初この作品に「第2番」の番号を与える意図を持っていたが、出来ばえに自信をなくしこの作品を封じてしまった(このニ短調の曲は、現在「交響曲第0番」と呼ばれている曲である)。

この作品は1872年に初稿が完成し、同年、この稿による初演を第1交響曲に感動した友人である指揮者デッソフにより計画されるも中止された。理由は、パート譜を見たオーケストラ団員の一部から演奏不可能との意見がでるなど騒ぎが大きくなり、デッソフ自身も第2交響曲に対し十分な理解や共感を得られなかったことによる。そのため翌1873年に改訂がなされ、同年10月26日に、ブルックナー自身がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、この曲は初演された。

1876年、この曲の再演に際して細部の改訂がなされ、翌年にはヘルベックの助言により、この曲は大幅改訂された。その後、初版出版に際して1891年から1892年に細部の改訂がなされた。

初演[編集]

演奏時間[編集]

初稿が約70分、第2稿が約60分である。

楽器編成[編集]

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ(1対)、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラチェロコントラバス

出版の経緯[編集]

1892年、ドブリンガー社から初版が出版された。これは、1892年までの改訂に加え、さらに弟子の校訂が加わっていると言われる。

その後、国際ブルックナー協会の原典版編纂により、1938年にハース版が出版された。ところがこのハース版は、1877年稿をベースにし、一部1872年稿を採用したものとなっていた。ローベルト・ハース自身そのことを明記して出版したが、このような校訂姿勢はのちにレオポルト・ノヴァークが批判するところとなった。

国際ブルックナー協会の校訂作業がノヴァークに代わった後、まず1965年に、1877年稿に基づくノヴァーク版が出版された。これはハース版から1872年稿を排除したものである。当時は単に「ノヴァーク版」と称されたが、後述の通り、後に1872年稿が出版されたため、これは「第2稿」とも呼ばれるようになった。ノヴァークは1872年稿の校訂・出版も計画していたが、それを実現せず1991年に死去した。

その後、ウィリアム・キャラガンがこの交響曲の校訂を引き継ぎ、1872年稿・1873年稿を校訂するとともに、1877年稿を再校訂した。1872年稿・1873年稿については、1991年にクルト・アイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管弦楽団がCD録音(廃盤)した。これらが収録されたCDの解説書には、キャラガン自身によるこれらの稿の解説が含まれていた。2005年には、国際ブルックナー協会から1872年稿が出版され「第1稿」と呼称するようになった。同時にそれまで出版されていたノヴァーク版第2稿もキャラガンが再校訂し、「1877/1892年稿」と称して出版されるようになった。

キャラガン1872年稿は第1、第4と緩徐楽章において、ハース稿・ノヴァーク稿との大きな違いがある。またスケルツォ楽章の順番が緩徐楽章と入れ替わっており、第2楽章にスケルツォ、第3楽章に緩徐楽章が置かれている。

ハース版として出版された譜面には、「vi-」「-de」と記されて囲まれた箇所がある(第2楽章・第4楽章)。これは1877年稿では本来存在しない部分であり、ハースもそのことを明記していた。ノヴァーク版第2稿は1877年稿を再現したとはいえ、ハースが「vi-」「-de」で囲った部分の譜面はそのまま残した形で出版した。

なお、キャラガン1872年稿と1873年稿は第4楽章の後半~終結部に大きな違いが存在する。現在の出版譜は「1872年稿=第1稿」「1877/1892年稿=第2稿」として扱われている。1873年稿については現時点では未出版である(ただし、出版されている1872年稿の中で、一部言及・併記されている)。キャラガン1872年稿が出版後、若手指揮者を中心に、ここ数年でキャラガン1872年稿での演奏・録音が増えている。

楽曲解説[編集]

第1楽章[編集]

Moderato(モデラート) - ノヴァーク版

Ziemlich schnell(かなり急速に。) - ハース版

ハ短調、4分の4拍子。ソナタ形式。ヴァイオリン、ヴィオラのトレモロの中から、チェロが第1主題をおおらかに奏しだす。いわゆるブルックナー開始である。チェロの付点リズムがヴァイオリンに移ると、トランペットの3連音符と付点による信号風リズムが現れる。いわゆるブルックナーリズムである。第1主題の確保と発展が行われ、次第に力を弱めるとティンパニが3つの弱い響きを出し1小節の休止の挟んで第2主題部へ移る。第1ヴァイオリンの浮遊するような音型の下で、チェロが変ホ長調で第2主題を提示する。弦に新しい推進的な音型が現れた後、第3主題も変ホ長調でオスティナートの伴奏の上に提示される。次第に高揚し、金管が付点リズムの信号動機を奏して頂点をつくる。しずまって弦が残ると小結尾に入り、愛らしい小結尾主題がオーボエ、クラリネット、ファゴットへと受け継がれる。休止の後、ヴィオラのトレモロが現れ、低音弦が第1主題の断片を出して展開部へ入る。展開部は主に第1主題を扱いながら高揚し、第3主題の伴奏の音型や第2主題も加わる。やはり休止の後、再現部へ入る。第1主題は今度は管も加わって豊かに再現されるが、第2主題、第3主題、小結尾ともに型どおりの再現となっている。コーダは比較的長大で低弦の第1主題の断片が繰り返されるが一旦萎む。再度、第1主題の断片が繰り返され信号動機も加わってクライマックスを作り上げる。一度静まってからチェロが第1主題を奏で、ファゴットとフルートに導かれてまた頂点を作って曲は終わる。 尚、キャラガン版では展開部に相違があり、展開の推移が幾分長くなっている。

第2楽章(キャラガン1872年稿では第3楽章)[編集]

Andante. Feierlich, etwas bewegt(アンダンテ。荘重に、いくぶん運動的に。) - ノヴァーク版

Adagio. Feierlich, etwas bewegt(アダージョ。荘重に、いくぶん運動的に。) - ハース版

変イ長調 4分の4拍子、ロンド形式(A-B-A-B-A-Coda)。「荘重に、いくぶん運動的に」と書き加えられた法悦的で妖艶な音楽で、後の最大のアダージョ作曲家の萌芽がここにある。壮大なクライマックスは交響曲第7番まで待たなければならない。形式はいつものようにベートーヴェン交響曲第9番の緩徐楽章から来ている。弦のオルガン風な響きに導かれて、第1ヴァイオリンが静かに柔和に主要主題を奏で、対位法的に進む。木管も加わり、ヴァイオリンとヴィオラの応答にファゴットも加わると、半小節の休止があり、副主題が弦のピッツィカートの上にホルンで現れる。まもなく主要主題が回帰する。今度はよりいっそう深刻化している。ホルンにより副主題も反復される。経過風の部分の後、主要主題が回帰し、クライマックスを作り上げていく。その後、コーダとなり、主要主題を扱いながら曲は静かに結ばれる。最後の跳躍の旋律はハース稿がホルンで奏され、ノヴァーク稿とキャラガン1872年稿ではクラリネットで受け持っている。ホルンでは美しさが一層際立ち、クラリネットでは晩秋のような渋みのある響きが印象的だ。どちらも甲乙つけがたく、深い味わいを醸し出す。尚、キャラガン1873年稿ではコーダのヴァイオリン・ソロに至るくだりがヴァイオリン・ソロ楽節で長く演奏されとても美しい。1872年稿にはこの楽節はない。

第3楽章(キャラガン1872年稿では第2楽章)[編集]

Scherzo. Mäßig schnell - Trio. Gleiches Tempoスケルツォ。適度に速く ― トリオ、(主部と)同じテンポで。) - ノヴァーク版

Scherzo. Schnell - Trio. Gleiches Tempo(スケルツォ。急速に。 ― トリオ、(主部と)同じテンポで。) - ハース版

ハ短調、3分の4拍子。三部形式。粗野なスケルツォで、ブルックナーの原始的な性格がここに反映される。トランペットとトロンボーンを除いた全楽器でスケルツォ主題が強烈に提示される。スケルツォ主題の再現部では金管楽器が強烈に奏される。トリオはハ長調でレントラー風なものでヴァイオリンによるトレモロの上でヴィオラが主題を奏していく。ハース稿とキャラガン稿ではスケルツォ提示部、再現部とトリオにそれぞれ反復が指定されている。第1番、第0番交響曲と同じくコーダが付いているのは初期の特徴である。コーダーへの入り方はハース稿とノヴァーク稿・キャラガン稿では若干異なる。ハース稿ではスケルツォ再現部の終止をティンパニーで一発打ってからコーダーに入るが、ノヴァーク稿・キャラガン稿では、このティパニーの1打がなく、スケルツォ部の終止感がないままにコーダーに入る。対称性が特徴のブルックナーのスケルツォでは異例な瞬間となっている。

第4楽章[編集]

Finale. Ziemlich schnell(終曲。かなり急速に。) - ノヴァーク版

Finale. Mehr schnell(終曲。より速く。) - ハース版

ハ短調、2分の2拍子。ソナタ形式。長い音楽で第3主題以降の処理がとても長く、コラールなどに時間を大量につぎ込んでいる。

曲は弦の刻みに木管が絡む導入から始まる。これに金管が加わり大きく膨らみ、金管の音価が短くなり緊張感が増した時点で第1主題が奏されて提示部へと突入する。この時、金管には短い信号風のパッセージが吹かれると同時にベートーヴェンの「運命」の動機も、それとなく散りばめられる。この信号風のパッセージと「運命」の動機は、この楽章中の至る所で登場する。主題の確保はなく、経過句を経て弦に明るい第2主題が現れる。この主題は確保され経過句を経て小さなクライマックスを築く。金管が第1主題を長調で奏でると間もなく第3主題が現れる。この主題は直ぐに信号風のパッセージを伴い「運命」の動機も奏される。すると突如、曲は第1楽章のトランペットの信号風動機を変形した旋律を力強く演奏し、短い休止を挟む。静かにコデッタ旋律を奏でると曲は展開部へ入る。キャラガン版は第2主題登場前の経過句のオーケストレーションが異なる。 展開部はまず第1主題の動機を短く扱う。次いで短い経過を経て第2主題を扱う。再現部への移行部が短く出て冒頭の導入旋律が現れると再現部となる。キャラガン版では第1主題と第2主題の展開の間の経過が異なり、幾分長めの運びを歩む。 再現部は第1主題がほぼそっくり再現し、第2楽章の再現前までは提示部とほぼ同じ経過を辿る。第2主題の再現途中から曲は悲劇的な性格を帯び始める。突然、曲は勢いを増し信号風のパッセージを力強く吹く。舞曲風のリズムにのって第1主題の変形された旋律が力強く奏でられると、信号風のパッセージと第1楽章のトランペットの信号風動機を変形した旋律が頂点を築く。キャラガン版では第1楽章のトランペットの信号風動機が原型に近い形でトゥッティで演奏される。

曲は一旦静まり、低弦にコラール風の旋律が静かに奏でられ、弦のピッツィカートの後、トランペットがコラール風の旋律を静かに吹く。曲は再び勢いを増して第2主題提示前の経過句を利用して膨らんでいく。弦の不安定な刻みと第1主題の後半の動機を使用後、第1主題の前半の動機を用いてクライマックスを形成するが、ティンパニーの1打で中断すると、第1楽章の第1主題がフルートのオブリガート風の絡みを伴ってオーボエで回帰する。オーボエ、フルートの順に第2主題が密かに吹かれる。キャラガン1873年稿では第1楽章の第1主題の回帰はなく、第2主題演奏後、突然コーダへ向かい曲を閉じることになる。

再び第2主題提示前の経過句を利用して膨らみ、弦の不安定な刻みが演奏され、これが金管に受継がれて速度を落とすとコーダとなる。ハ長調に転じてクライマックス築き曲を力強く閉じる。キャラガン1872年稿では1回目の第2主題提示前の経過句の利用から第1楽章の第1主題の回帰までのくだりがなく、2回目の第2主題提示前の経過句の利用へ移る。以降の流れはハース版・ノヴァーク版と同様となる。尚、コーダのオーケストレーションはハース版・ノヴァーク版とキャラガン版ではかなりの違いがある。

備考[編集]

  • 1873年、ブルックナーはワーグナーと面会する。この次に作曲された交響曲第3番の草稿と、この第2番の両方の譜面をワーグナーに提示し、どちらかを献呈したいと申し出た。ワーグナーは、この第2番ではなく、第3番の方に興味を示した。
  • この曲は、ウィーン・フィルへの献呈も申し出たが「演奏不可能」と拒絶された。その後フランツ・リストへの献呈も申し出たが、果たせなかった。
  • 全休止が多いので「休止交響曲」の俗称で呼ばれることもあった。また、自作の「ミサ曲ヘ短調」の「キリエ」の主題が引用された箇所があり「ミサ交響曲」と言われることもある。
  • ブルックナーの初期の交響曲は、ヘ短調第1番第0番・第2番で、様々なスタイルを模索し、第2番で一つのスタイルを確立した、とも評される。実際、これらの中では、第2番がそれ以降の交響曲のスタイルに最も近い。
  • 1872年稿は、のちの第8交響曲のように第2楽章がスケルツォ、第3楽章が緩徐楽章となっていた。しかし1873年の改訂で楽章順序は入れ替わり、第2楽章が緩徐楽章、第3楽章がスケルツォとなった。その後の改訂もこの楽章順を引き継いでいる。
  • 1873年稿のみ、終楽章の最後に「第4トロンボーン」が加わる。他のトロンボーンは「A(アルト)・T(テナー)・B(バス)」と記してあるが、これは「4」とのみ記されている。この部分のチェロコントラバスの音型の音量補強を意図したものと思われるが、この作曲家のオーケストレーションとしても他に似たような例はない。

外部リンク[編集]