亜庭丸
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亜庭丸(あにわまる)は、1927年から1945年まで、日本の鉄道省が北海道の稚内と樺太の大泊を結ぶ稚泊連絡船に就役させた貨客船である。船名は樺太の亜庭湾に由来する。
冬に流氷で閉ざされる海域で運行するため、本格的な砕氷船として建造された。1932年に宗谷丸が僚船として登場するまで、日本最大かつ最強の砕氷船であった。鉄道連絡船ではあるが、稚泊航路では貨車航送を行っていなかったことから、鉄道車両を搭載する車両甲板を備えていない。
沿革[編集]
- 1927年(昭和2年)11月25日 - 神戸製鋼所播磨造船所にて竣工。
- 1927年12月8日 - 稚泊連絡船に就航。
- 1944年(昭和19年)8月24日 - 9月17日 - 恵須取町の炭鉱労働者の内地転換輸送に当たる。
- 1945年(昭和20年)7月23日 - 米軍機の空襲により壊滅状態となった青函連絡船の救援のため、青函航路に転属。
- 1945年8月10日 - 機関故障により青森県茂浦沖で投錨・停泊中に米軍機の攻撃を受け、炎上後沈没する。後日、船体の浮揚が試みられたが失敗したため、そのまま廃棄された。
概要[編集]
- 総トン数 3298t
- 定員 1等船室18人 2等船室102人 3等船室634人 計754人
- 乗組定員 87人
- 喫水 6.4m
- 長さ 99.8m 幅13.7m 深さ9.2m
- 貨物搭載量 470t
- 主缶 舶用スコッチ型4基
- 主機と軸数 三連成往復動汽機2基、2軸
- 出力 6394馬力
- 最高速力 16.4ノット
その他[編集]
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