井川伊勢吉

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いかわ いせきち
井川 伊勢吉
生誕 1909年11月7日
日本の旗 日本
愛媛県宇摩郡三島村
(のち伊予三島市、現四国中央市
死没 (1990-07-04) 1990年7月4日(80歳没)
職業 実業家
配偶者 妻・井川みゆき
子供 8人

井川 伊勢吉(いかわ いせきち、1909年明治42年)11月7日 - 1990年平成2年)7月4日)は、日本実業家大王製紙創業者。幼名高助[1]。大王製紙前会長井川意高の祖父。

1943年(昭和18年)大王製紙設立[2]1981年(昭和56年)県功労賞[2]1984年(昭和59年)伊予三島市名誉市民[2]1986年(昭和61年)愛媛放送賞受賞[2]、同年勲二等瑞宝章[2]

経歴[編集]

  • 1941年(昭和16年) - 四国紙業株式会社を建て、大王製紙の母体となる製紙工場づくりに着手[1]
  • 1947年(昭和22年) - 宇摩商工会議所会頭に就任[1]銅山川疏水への取り組み開始[1]
  • 1965年(昭和40年) - 会社更生手続終結[1]
  • 1978年(昭和53年) - 日本製紙連合会副会長に就任[1]
  • 1990年(平成2年)7月4日 - 80歳で永眠[1]

人物像[編集]

井川伊勢吉は、幼名高助といった[4]チビだったため、低助のアダ名がついた[4]。伊勢吉の経営者としてのスタートは、戦時下という特殊な事情もあって苦難の連続であったが、苦労を苦労としない不屈の精神力と決断力が今日を築いたといえる[2]

伊勢吉について、地元商店街の関係者によると「創業者の井川伊勢吉氏は、身長が百五十センチに満たない小柄な人でしたが、働き者でね[5]。ボロ服を着て リヤカーを引いていた姿が印象的でした[5]。各家庭を回って、製紙の原料に使う段ボールなどの古紙を集めるのです[5]。古紙を原材料に混ぜて製紙を作ると程よい柔らかさになって需要があった[5]。…(中略)伊勢吉氏は、遠方に行く時は旅館には泊まらず、車の中で寝泊りしていた倹約家でした[5]。」という。

宗教真言宗[6]趣味は仕事[2]。余暇にはよく本を読む[2]。なかでも吉川英治が好き[2]。健康法は昼寝[2]

家族・親族[編集]

井川家[編集]

愛媛県宇摩郡三島町(のち伊予三島市、現四国中央市)、東京都
和一[3](実業家)
[3](実業家)
達二[3](実業家)
  • 妻・みゆき[3]
  • 長男・高雄[3](実業家)
  • 次男・尚武[3](実業家)
  • 三男・俊高[3](実業家)
  • 長女[3]
  • 次女[3]
  • 四男・広高[3](実業家)
  • 五男・英高[3](実業家)
  • 六男・高幸[3](実業家)

参考文献[編集]

  • 『えひめ 人 その風土』(第一刷発行・昭和61年、発行所・愛媛放送株式会社、108―109頁)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 愛媛の偉人・賢人の紹介
  2. ^ a b c d e f g h i j 『えひめ 人 その風土』109頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 第二十一版 人事興信録(上)』(昭和36年)い五頁
  4. ^ a b c d 『えひめ 人 その風土』108頁
  5. ^ a b c d e 週刊文春』(2011年11月10日号)31頁
  6. ^ 第十九版 大衆人事録(西日本篇)』い三七頁