井上頼圀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

井上 頼圀(いのうえ よりくに、天保10年2月18日新暦1839年4月1日) - 大正3年(1914年7月4日)は、国学者

江戸・神田松下町生まれ。幼名は次郎。通称は肥後・鉄直。号は伯随・厚載。和歌相川景見に学び、平田銕胤国学を、日本古暦道を権田直助に学ぶ。維新後文部省宮内省に出仕し、私塾神習舎で教えた。明治15年(1882年松野勇雄らと皇典講究所(のち國學院)を設立。明治16年(1883年矢野玄道六国史の校訂を嘱託される。國學院教授、女子学習院教授、古事類苑校閲員を務めた。1905年東京帝大文学博士

大正元年(1912年)、六国史校訂材料取調主任に就任。大正3年(1914年)7月4日、腎臓炎と尿毒症のため死去[1]

音楽家井上頼豊は孫。

著書[編集]

  • 大槻如電共編 『新撰東西年表』 吉川半七、 1898年
  • 井上頼文・吉岡頼教編 『己亥叢説』 吉川半七、 1899年
  • 高山昇・菟田茂丸共編 『難訓辞典』 啓成社、1907年
  • 中垣孝雄・他共著 『教育勅語模範講話』 明識館、1909年
  • 『古事記考』 明治書院、1909年。
  • 『国漢新辞典』 大倉書店、1911年
  • 『現代文章宝典』 前川文栄閣、1911年。
  • 本居豊頴上田万年共校訂 『校定古事記』 皇典講究所、1911年。
  • 近藤正一共編 『謡曲二百番謡ひ鑑』 博文館、1913年 - 1914年
  • 『最新書翰文』(第22版)、文永館書店 1924年
  • 『己亥叢説 続』 神習会、1934年

脚注[編集]

  1. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)42頁

参考文献[編集]