井上因達因碩

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井上因達因碩(いのうえ いんたついんせき、1747年延享4年) - 1805年9月8日文化2年8月16日))は、江戸時代囲碁棋士で、家元井上家八世井上因碩。元の姓は吉益安芸国出身、七世井上春達因碩門下、七段上手。

経歴[編集]

安芸国佐伯郡己斐村の百姓八木武助の子として生まれる。年少の頃の棋譜には田原姓とあり、名は橘二と名乗った。1773年(安永2年)27歳六段で七世春達因碩の跡目となり、翌年御城碁に初出仕して坂口仙徳に先番3目負け。1784年に春達因碩死去により、家督を継いで八世井上因碩となる(当時の呼び方では七世)。1794年(寛政6年)に門下の佐藤春策を跡目とする。1796年には門下の六段服部因淑の御城碁出仕を願い出たが、認められなかった。1802年(享和2年)七段に進む。1805年死去、法謐は賓臺院。

御城碁は30局を勤めた。当時の門人には、京極周防守などがいる。

御城碁成績[編集]

  • 1774年(安永3年) 先番3目負 坂口仙徳
  • 同年 先番中押勝 安井仙哲
  • 1775年(安永4年) 先番10目勝 安井仙哲
  • 1776年(安永5年) 白番9目負 坂口仙徳
  • 同年 二子中押勝 本因坊察元
  • 1777年(安永6年) 先番4目勝 本因坊烈元
  • 同年 白番18目負 安井仙哲
  • 1779年(安永8年) 先番中押勝 本因坊烈元
  • 1780年(安永9年) 向二子7目勝 林門悦
  • 同年 先番ジゴ 井上春達因碩
  • 1781年(天明元年) 先番中押勝 林祐元門入
  • 1782年(天明2年) 先番1目勝 本因坊烈元
  • 1783年(天明3年) 白番中押勝 林門悦
  • 1785年(天明5年) 白番17目負 安井仙角仙知
  • 同年 白番9目勝 林門悦
  • 1787年(天明7年) 白番14目負 河野元虎
  • 1788年(天明8年) 白番9目負 本因坊烈元
  • 1789年(寛政元年) 白番3目勝 林門悦
  • 同年 先番3目勝 本因坊烈元
  • 1791年(寛政3年) 先番ジゴ 安井仙角仙知
  • 1792年(寛政4年) 白番1目負 林門悦
  • 1793年(寛政5年) 先番10目負 本因坊烈元
  • 1794年(寛政6年) 先番3目勝 河野元虎
  • 1796年(寛政8年) 白番3目負 本因坊烈元
  • 1797年(寛政9年) 白番1目負 林門悦
  • 1798年(寛政10年) 先番4目負 本因坊烈元
  • 1800年(寛政12年) 先番12目勝 林門悦
  • 1801年(享和元年) 先番中押勝 安井仙角仙知
  • 1802年(享和2年) 白番7目負 本因坊元丈
  • 1804年(文化元年) 先番ジゴ 本因坊烈元

参考文献[編集]

  • 安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年

外部リンク[編集]