井上光

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井上 光
Inoue Hikaru.jpg
生誕 1851年11月30日
死没 (1908-12-17) 1908年12月17日(57歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1871 - 1908
最終階級 陸軍大将
除隊後 勲一等旭日桐花大綬章
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井上 光(いのうえ ひかる、嘉永4年11月8日1851年11月30日) - 1908年(明治41年)12月17日[1])は、日本の陸軍軍人華族第12師団長、第4師団長などを歴任。陸軍大将勲一等功二級男爵。墓所は山口県岩国市の普済寺。

経歴[編集]

1851年岩国藩士・森脇兵介の次男として生まれ、のち同藩士井上光禎の養子となる。幼名を復吉といった。藩の精義隊に参加し、戊辰戦争に参戦する。

維新後は大阪青年学舎生徒を経て、明治4年(1971年)5月陸軍大尉に任ぜられる。6月に御親兵に配属、同第7番大隊付となる。翌年9月近衛局出仕、1874年(明治7年)7月には近衛准官参謀1875年(明治8年)9月の陸軍士官学校生徒隊付を経、1876年(明治9年)4月広島鎮台歩兵第12連隊第3大隊長、同7月少佐に進級する。

1877年(明治10年)の西南戦争では、別働第1旅団指揮下で出征する。戦後、熊本鎮台幕僚参謀副長、名古屋鎮台参謀、西部監軍部参謀を経て、1885年(明治18年)5月には陸軍中佐に進み、歩兵第1連隊長を任ぜられる。1888年(明治21年)11月、陸軍大佐に進み、1889年(明治22年)9月、第3師団参謀長。1894年(明治27年)2月から半年間ヨーロッパに派遣され、帰国後の同年10月、第2軍参謀長として日清戦争に出征。少将に進み、1895年(明治28年)5月、歩兵第6旅団長、同8月に監軍部参謀長、1898年(明治31年)に歩兵第3旅団長、1899年(明治32年)3月には陸軍中将を任ぜられて第12師団長。1903年(明治36年)11月、勲一等瑞宝章受章。

1904年(明治37年)2月、日露戦争に出征し、戦後の1906年(明治39年)7月6日に第4師団長に移る。日清・日露戦争での戦功により、同年4月、勲一等旭日大綬章と功二級金鵄勲章。1907年(明治40年)9月、男爵1908年(明治41年)8月には陸軍大将に進むが、同年12月死去する。死去に際し勲一等旭日桐花大綬章を賜る。

栄典[編集]

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

脚注[編集]

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  1. ^ 『官報』第7649号「彙報 - 官吏薨去及卒去」1908年12月23日。
  2. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1890年12月28日。
  3. ^ 『官報』第5740号「叙任及辞令」1902年8月21日。
  4. ^ 『官報』第7645号「敍任及辞令」1908年12月18日。
  5. ^ 『官報』第1933号「叙任及辞令」1889年12月6日。
  6. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  7. ^ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。
  8. ^ 『官報』第6123号「叙任及辞令」1903年11月28日。
  9. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  10. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  11. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日桐花大綬章受章者一覧
  12. ^ 『官報』第4810号「敍任及辞令」1899年7月14日。
  13. ^ 『官報』第7019号「敍任及辞令」1906年11月20日。


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
井上(光)家初代
1907年 - 1908年
次代:
井上太郎