五色温泉 (山形県)

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Hot springs 001.svg 五色温泉
温泉情報
所在地 山形県米沢市
交通 車 : 東北自動車道福島飯坂ICから約30分
泉質 ナトリウムカルシウム-炭酸水素塩塩化物温泉(低張性中性温泉)
泉温(摂氏 45.9℃(源泉)
湧出量 90L/分
pH 6.4
液性の分類 中性
浸透圧の分類 低張性
宿泊施設数 1
総収容人員数 75 人/日
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五色温泉ごしきおんせん)は、山形県米沢市(旧国出羽国明治以降は羽前国)にある温泉

子宝の湯として知られ、その薬効は一軒宿の「宗川旅館(そうかわりょかん)」の洞窟を思わせる岩石風呂と、木の香り漂う露天風呂で味わえる。

泉質[編集]

温泉街[編集]

約120年の歴史をもつ一軒宿宗川旅館が存在する。

日本秘湯を守る会会員(2018年1月18日から休会)。

木造2階建て、客室数25室、収容人数75名。

自家源泉を2本持つ。

内湯は男女別、各1。夜20時に男女別が入れ替わる。露天風呂は宿から少し離れた別棟で、男女別各1。冬季限定露天風呂(混浴)1。露天は屋根付きの半露天である。

通年営業しているが、積雪期は自動車の足回りには充分な配慮が必要である。

一軒宿には竹久夢二のスケッチ帳が2冊残されているなど、多くの著名人にも利用された。

歴史[編集]

約1300年前、役行者が五色の湯煙を見て発見したと伝えられる。温泉名もこれに由来する。

江戸時代には米沢藩上杉氏の守り湯として、また湯治場として利用された。

1911年(明治44年)3月、オーストリアのレッツェルホーラー商社横浜駐在員エゴン・フォン・クラッツァー(Egon Edler von Kratzer)がスキーをした。 これがきっかけとなって、同年12月25日に民営としては日本最初のスキー場(五色スキー場)ができ、皇族華族にも利用された。

その頃の五色スキー場の様子は、板倉勝宣の「五色温泉スキー日記」から伺うことができる。板倉は日本山岳界揺籃期の登山家で槇有恒の親友、大正12年立山で遭難死。華族の子弟であり、その友人達も含め、まだスキーは上流階級のものだったことが覗える。

1924年(大正13年)、皇族の会員制スキークラブである六華倶楽部クラブハウスとして、スキーロッジが建設された。勾配を利用して一階が石造り、二階以上が木造の洋風建築だった。

最寄り駅にあたる板谷駅舎には、貴賓室が設けられたという。

1926年(大正15年)12月4日、宗川旅館二階離れで日本共産党第3回大会が極秘に開かれ、党の再建が決議された。福本和夫佐野文夫渡辺政之輔三田村四郎中尾勝男ら参加者(人数17人)は身分を隠すためばらばらに来館したため、宿の主人も1年後に警察から事情を聞くまでは不審に思わなかったという。

1998年(平成10年)、五色スキー場は来訪客の減少や、リフトの老朽化などのため閉鎖された。

1999年(平成11年)、六華倶楽部のスキーロッジは老朽化のため、宮城県仙台市青葉区花京院の個人宅に、木造部である二階以上が移築された。

アクセス[編集]

  • 鉄道:JR東日本奥羽本線板谷駅下車(普通列車のみ停車なので要注意)。駅前より宗川旅館の送迎車を利用して約7km、10分。ただし、送迎車は1日4往復で、事前予約が必要。
  • 徒歩:板谷駅から約7km、徒歩で2時間足らず。ハイヒールでも歩ける。

外部リンク[編集]