五日市憲法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

五日市憲法(いつかいちけんぽう)は明治時代初期に作られた私擬憲法の一つ。1968年昭和43年)、色川大吉によって東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)の深沢家土蔵から発見されたためこの名で呼ばれる。

別名を日本帝国憲法という。全204条からなり、そのうち150条を基本的人権について触れ、国民の権利保障に重きをおいたものである。五日市学芸講談会のうちの一人である千葉卓三郎1881年に起草したとされる。国民の権利などについて、当時としては画期的な内容が含まれ、現日本国憲法に近い内容もみられる。

一方で、第一篇の「国帝(天皇)」においては、嚶鳴社の私擬憲法の丸写しと指摘され、「進んだ人権保障、遅れた統治機構」との批判的な評価も多い。

大日本帝国憲法に似た強大な天皇大権を規定しており、その権限は議会よりも強く、軍隊の統帥権を始め、35条には「国帝は、国会ニ議セズ特権ヲ以テ決定シ、外国トノ諸般ノ国約ヲ為ス」、38条では、「国帝ハ、国会ヨリ上奏シタル起議ヲ充否(いんぴ)ス」とあり、国会に諮ることなく条約を締結できたり、議会の議決に対して拒否権を行使できる規定がある。 さらに、27条では「国帝ハ特命ヲ以テ既定宣告ノ刑事裁判ヲ破毀シ何レノ裁判庁ニモ之ヲ移シテ覆審セシムルノ権アリ」と、天皇の命令によって刑事裁判のやり直しができるなど、司法の独立が不十分であり、第一篇の天皇大権の規定と第二篇の国民の権利保障には矛盾が存在する。

五日市憲法は東京都有形文化財(古文書)に、深沢家屋敷跡(土蔵などが残る)は史跡に指定されている。前者は東京経済大学に保管されていたが、現在はあきる野市の中央図書館に移管された。

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 「五日市憲法草案の碑」記念誌編集委員会編『「五日市憲法草案の碑」建碑誌』、五日市憲法草案顕彰碑建設委員会、1980年4月

関連項目[編集]