五十嵐派

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五十嵐派(いがらしは)は、漆芸蒔絵師の流派。幸阿弥派と並ぶ、御用蒔絵の二大流派[1]

五十嵐道甫が、加賀前田利常の招きで金沢に渡り、加賀蒔絵の基礎を築いた[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2021年夏季特別展 蒔絵の時代 ―高台寺蒔絵と名工の誕生―”. MIHO MUSEUM. p. 2 (2021年6月). 2021年10月30日閲覧。 “幸阿弥派・五十嵐派:蒔絵の二大流派。幸阿弥派は室町時代から江戸時代にわたり代々 将軍家の御用を勤めた。五十嵐派も室町時代に遡る蒔絵師の名門で、江戸時代加賀三代藩主前田利常に招かれ御用を勤めた五十嵐道甫が知られる。彼の後代や門人たちによって加賀蒔絵の基礎が築かれたとされる。”
  2. ^ 蒔絵」『金沢市紀要』金沢市、1924年、189-190頁https://books.google.co.jp/books?id=OrBjE97mjFEC&pg=PP2372021年10月30日閲覧。"京都に在りて五十嵐派の一風を開いたのは五十嵐信齊であった、其の孫道甫も亦其の技に巧にして一世の巨匠と稱せられ、寛永中利常の召に應じて居を金澤に移し所謂加賀蒔絵を創作した世に古道甫と呼ぶは此の道甫のことである"。