五十嵐冬樹

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五十嵐冬樹
Fuyuki-Igarashi20110106.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道深川市
生年月日 (1975-09-30) 1975年9月30日(43歳)
身長 155cm
体重 48kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 ホッカイドウ競馬
所属厩舎 川島洋人(道営)
勝負服 赤地・白星散らし
初免許年 1993年
免許区分 平地
経歴
所属 桑原義光(道営)
→川島洋人(道営)
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五十嵐 冬樹(いがらし ふゆき、1975年9月30日 - )はホッカイドウ競馬川島洋人厩舎所属の騎手

来歴[編集]

中学生の時にテレビの競馬中継を見たのがきっかけで騎手になることを志す。卒業後は深川東商業高校へ進学するが、病気の父親が回復次第退学して騎手の道へ進むためにあえて第一志望の高校を避けていた[1]。当時は中央競馬地方競馬の違いを理解しておらず、「試験日が早い」という理由で地方競馬教養センター長期騎手課程に58期生として入学。同期に木村健兵庫)、吉井竜一(大井)、佐々木明美(北海道・引退)などがいる[2]

ホッカイドウ競馬を代表する騎手の一人で、コスモバルク主戦騎手として知られる。初騎乗は1993年10月4日札幌競馬場でのアイボリーロマン(2着)。初勝利は同年10月20日帯広競馬場でのコウチファスター。

1999年にホッカイドウ競馬のリーディングジョッキーに輝くと、2001年以降は5年連続でリーディング1位を維持している(2006年現在通算6回)。2006年7月19日旭川競馬場のアドミラルサンダーで国内通算1,000勝を達成した(内訳:地方競馬957勝・中央競馬43勝)。

中央競馬(JRA)にも積極的に参戦。初騎乗は1997年8月2日札幌競馬場第6競走のトップヘリオス(4着)。初勝利は1999年9月18日の札幌競馬場第6競走のライズライズライズ。2003年天皇賞(秋)ではトレジャーに騎乗。また、コスモバルクとのコンビでJRA重賞3勝を挙げているほか、モエレジーニアスで2005年函館2歳ステークスに勝利。

2005年秋のJRA騎手免許試験を受験したが不合格。

2006年にはコスモバルクとシンガポール航空国際カップに出走し、地方競馬所属馬、地方競馬所属騎手として初めて海外G1競走を制し、翌2007年も同馬で同競走に出走し、2着と健闘した。同年9月に左足首を怪我し3日間騎乗を休止した。10月11日には、道営年間最多勝記録タイとなる130勝目(最終的には146勝)を挙げた。10月28日に開催された第136回秋の天皇賞で騎乗のコスモバルクが最後の直線で左右によれ戒告処分を受けた。また、この影響で11月13日にジャパンカップでは他の騎手に乗り替わることが発表された[3]が、2009年の第29回ジャパンカップから引退まで再び手綱を取った。

2010年11月29日から翌2011年1月28日まで南関東公営競馬期間限定騎乗を行う。南関東での所属は川崎競馬場池田孝厩舎[4]

2012年11月25日から翌2013年1月25日にも南関東公営競馬で期間限定騎乗を行う。ただし2010年~2011年とは違い南関東での所属は浦和競馬場工藤伸輔厩舎に変更された。[5]

桑原義光調教師が勇退し、2017年11月22日付けで川島洋人厩舎に移籍[6]

コスモバルクとのコンビでの斜行に関しては、普段は温厚な武豊でさえ、自身の出演するTV番組で「他の騎手が気をつけてくれているからいいけど、(斜行癖を)知らない騎手がいたら危ない」「ルメール幸四郎が乗っている時はまっすぐ走ってるんですけどね」「(斜行は)お決まりですからね」等のコメントを残している。

主な騎乗馬[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「number」602号 p22
  2. ^ 『Furlong 1993年10月号』、地方競馬全国協会、1993年10月、P28。
  3. ^ 以後、コスモバルクにはJRAの松岡正海ケント・デザーモが騎乗した。
  4. ^ ホッカイドウ競馬所属騎手の期間限定騎乗について - ホッカイドウ競馬
  5. ^ ホッカイドウ競馬所属騎手の期間限定騎乗について - ホッカイドウ競馬
  6. ^ 五十嵐冬樹騎手の所属変更について”. (一社)北海道軽種馬振興公社 (2017年11月24日). 2018年11月20日閲覧。

外部サイト[編集]