二階俊太郎

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二階 俊太郎(にかい しゅんたろう、1900年明治33年)12月 - 1975年昭和50年)10月4日[1])は、日本政治家和歌山県会議員、同県日高郡稲原村長)、実業家。御坊造船社長。衆議院議員二階俊博の父。

人物[編集]

和歌山県西牟婁郡日置川町大字久木(現白浜町大字久木)出身[2]東洋汽船の太平洋航路船の乗務員、流し、農蚕業、母校の安居小学校の代用教員紀伊民報社の記者、活版印刷業を経て1938年3月に和歌山県会議員となった[3]1940年9月、県会議員でありながら日高郡稲原村長に請われて就任した[3]

1943年4月、広瀬永造知事の推薦で新設の御坊造船社長に就任した[3]。県会議員、稲原村村長、御坊造船社長の三役を兼務することになり、多忙を極めた[3]。また和歌山県参事会員に挙げられた[4][5]

1946年、戦後初の衆議院議員選挙が行なわれ周囲から推されて出馬したが落選した[3]。また戦時中、村長職は自動的に大政翼賛会の支部長とされ、稲原村長を務めていた俊太郎もその罪を問われ公職追放を受けた[3][6]。やむなく県会議員、稲原村長を離任した[3]。俊太郎は毎朝、朝刊が配達されると同時に起床して、朝刊を開くと、まず追放解除者の欄を確認した[3]

1975年、75歳で死去。住所は和歌山県日高郡御坊町大字薗[5]。墓所は和歌山県西牟婁郡白浜町大字久木の臨済宗妙心寺派徳清寺[7]

家族・親族[編集]

二階家

脚注[編集]

  1. ^ 和歌山県史編さん委員会 1989, 360頁.
  2. ^ 「旭日双光章」受章祝賀会参院議員 大江康弘 公式ウェブサイト - 政策・主張 2010/02/14 22:05。
  3. ^ a b c d e f g h 二階運輸大臣の半生 政治家というのは忙しい仕事なんだな大下英治『小説 二階俊博』、二階事務所公式ホームページ。2020年8月17日閲覧。
  4. ^ a b 『人事興信録 第14版 下』ニ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月20日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第13版 下』ニ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月3日閲覧。
  6. ^ 総理庁官房監査課編 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 日比谷政経会、1949年、432頁。NDLJP:1276156 
  7. ^ 医聖 小山肆成の生誕の地 旧日置川町久木を訪ねてわかやま新報 2008年8月19日。
  8. ^ フサギコ『二階一門 紀南に跳ねる兎』桜町書院、2017年。ISBN 4909122230

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 和歌山県史編さん委員会 編 『和歌山県史 人物』 和歌山県、1989年。