二本松少年隊
二本松少年隊(にほんまつしょうねんたい)とは、幕末の二本松藩において戊辰戦争に出陣した12歳から17歳の少年兵部隊のこと。ただし、会津藩の白虎隊と違い当時は隊名がなく、二本松少年隊と名づけられたのは戊辰戦没者五十回忌に刊行された「二本松戊辰少年隊記」からである。
戊辰戦争への出陣は12歳や13歳では不可能なのだが、二本松藩には危急の際には年齢を2歳加算すると言う入れ年(実年齢より高い年齢として出兵の許可を出す)の制度があり、最少年齢の隊士の年齢は12歳となってしまった。二本松少年隊は藩内各地に出陣した62名を指すが、藩の西洋流(高島流)砲術師範(元は同じ砲術の武衛流師範で後に江戸留学の際に西洋流(高島流)砲術を習得した木村銃太郎指揮下の25名が特に有名で、大壇口での戦いにおいて木村をはじめその多くが戦死した。負傷して称念寺に運ばれた者もいたが、やがては息絶えてしまった。これらの出来事は、戊辰戦争における悲劇のひとつとして知られている。
地方の本では、三浦行蔵は倒れていたところを農民に助けられたが、仲間も戦死し、隊長も死んでしまったのに生き残った自分が情けないと悔やみ、その農民が少し目を離したすきにいなくなっていたという。
二本松藩主・丹羽氏の菩提寺でもある大隣寺に戦死者16名の墓所がある。また二本松城跡である霞ヶ城公園には群像彫刻や顕彰碑が立っている。
陣羽織二本松少年隊大壇口出陣者名(隊長、副隊長、他25名)[編集]
- 隊長 ★木村銃太郎 22歳
- 副隊長 ★二階堂衛守 33歳
- 12歳 ☆久保豊三郎
- 13歳 上田孫三郎 ★高橋辰治 ★徳田鉄吉 ★岡山篤次郎 ☆大島七郎 ☆小川安次郎 ★遊佐辰弥 後藤釥太 高橋源十郎
- 14歳 ★成田才次郎 成田虎治 武谷剛介 全田熊吉 宗形幸吉 馬場定治 水野進 鈴木松之助 ★木村丈太郎 渡辺駒之助
- 15歳 ★奥田午之介 ☆久保鉄次郎 ☆三浦行蔵 安部井壮蔵
- 17歳 ★大桶勝十郎
☆は負傷者、★は戦死を示す。
12歳の久保豊三郎と、15歳の久保鉄次郎は兄弟であり、兄・鉄次郎は病弱でありながらも、「豊三郎までがいったのに、おめおめとねている訳にはいきません」と言って母親を振り切り、弟のあとに続いたという。その後2人は負傷して称念寺に運ばれたが、おたがいのことを知らないままに11月、弟の豊三郎が先に亡くなったとされている。
二本松少年隊を歌った歌謡曲[編集]
- 『二本松少年隊の歌』(1940年)- 野村俊夫作詞、 古関裕而作曲、唄:高田浩吉(映画「二本松少年隊」(松竹)の主題歌)
- 『二本松少年隊』(1957年)- 野村俊夫作詞、 古関裕而作曲、唄:伊藤久男
- 『花の二本松少年隊』(1962年)- 野村俊夫作詞、 市川昭介作曲、唄:こまどり姉妹
- 『二本松少年隊』(1965年)- 高橋掬太郎作詞、細川潤一作曲、唄:三橋美智也(第16回NHK紅白歌合戦でこの唄を歌唱)
関連文献[編集]
- 蜷川新著『続 維新前後の政争と小栗上野』日本書院出版部、1931年、53「二本松藩少年隊奮戰の史實」。
- 社会教育協会編『福島県郷土読本 第1輯』社会教育協会、1936年、青年学習書(別冊)、第3課「二本松少年隊」。
- 徳富猪一郎著『近世日本国民史 第72冊』明治書院、1944年1月、第16章「二本松美談少年隊」。
- 「二本松少年隊」石川雅之「人斬り龍馬」所蔵 木村銃太郎に率いられた少年兵たちと、幕末の動乱で図らずもわが子を手にかけた長州隊長の邂逅。