二子城

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二子城
岩手県
飛勢城跡石碑
飛勢城跡石碑
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 和賀氏
築城年 不明
主な改修者 和賀氏
主な城主 和賀氏鬼柳氏後藤半七
廃城年 不明
遺構
指定文化財 なし

二子城(ふたごじょう)は、 岩手県北上市にあった日本の城。領主・和賀氏一族の居城。別名に飛勢城(とばせじょう)。

概要[編集]

二子城(ふたごじょう)は、陸奥国和賀郡二子村に所在した。城跡は北上川湾曲部西岸の丘陵地帯あり、二子という名は地内北西部に小山が二つ並んでいることによる。

丘陵東側には宿(しゅく)と呼ばれる城下町が形成され、二子城の中心部分に城主の居館跡(白鳥館)が存在し、周辺には家臣団の屋敷が配置されていたとみられる。

現在、飛勢城公園として整備されている。

歴史・沿革[編集]

室町時代以降、和賀郡惣領職として郡内を治めた和賀氏の居城跡で、築城年代は不明であるが、和賀氏の本拠地ははじめ北上川の対岸の更木(北上市更木町)に本拠地があったとされる。『邦内郷村志(1797年)』

二子城が和賀氏の本城となるのは、応永8年(1401年)4月28日に和賀時義が和賀郡惣領職に補せられた[1]直後とする説もある。天正18年(1590年)の奥州仕置で和賀氏が所領没収、城地追放処分を受けると、二子城には浅野長政の家臣・後藤半七が駐留したが、旧領回復を目指す和賀氏・稗貫氏が旧臣を集めて挙兵(和賀・稗貫一揆)、二子城を奪還した。しかし翌年の再仕置で蒲生氏郷勢に攻略され、当主の和賀義忠は逃亡途中に殺害された。天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「二子 平城 破 信直抱 代官 川村左衛門四郎」とある。

岩崎一揆[編集]

慶長5年(1600年)、南部氏最上出陣中、伊達氏の支援を受けた和賀忠親は再度旧領回復を目指して挙兵(岩崎一揆)し、忠親は二子城を拠点として南部氏と戦った。和賀勢は花巻城を急襲(花巻城の夜討ち)し、三の丸、二ノ丸を制圧して本丸に迫ったが、援軍を得た南部勢に敗れて二子城を放棄、和賀勢は拠点を岩崎城に移した。

脚注[編集]

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  1. ^ 「足利満貞安堵状」鬼柳文書

参考資料[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年ISBN 4040010302
  • (有)平凡社地方資料センター 『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』 平凡社、1990年7月13日ISBN 4-582-91022-X

関連項目[編集]

外部リンク[編集]