二子城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
logo
二子城
岩手県
飛勢城跡石碑
飛勢城跡石碑
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 和賀氏
築城年 不明
主な改修者 和賀氏
主な城主 和賀氏鬼柳氏後藤半七
廃城年 不明
遺構
指定文化財 なし

二子城(ふたごじょう)は、 岩手県北上市にあった日本の城。領主・和賀氏一族の居城。別名に飛勢城(とばせじょう)。

概要[編集]

二子城(ふたごじょう)は、陸奥国和賀郡二子村に所在した。城跡は北上川湾曲部西岸の丘陵地帯あり、二子という名は地内北西部に小山が二つ並んでいることによる。

丘陵東側には宿(しゅく)と呼ばれる城下町が形成され、二子城の中心部分に城主の居館跡(白鳥館)が存在し、周辺には家臣団の屋敷が配置されていたとみられる。

現在、飛勢城公園として整備されている。

歴史・沿革[編集]

室町時代以降、和賀郡惣領職として郡内を治めた和賀氏の居城跡で、築城年代は不明であるが、和賀氏の本拠地ははじめ北上川の対岸の更木(北上市更木町)に本拠地があったとされる。『邦内郷村志(1797年)』

二子城が和賀氏の本城となるのは、応永8年(1401年)4月28日に和賀時義が和賀郡惣領職に補せられた[1]直後とする説もある。天正18年(1590年)の奥州仕置で和賀氏が所領没収、城地追放処分を受けると、二子城には浅野長政の家臣・後藤半七が駐留したが、旧領回復を目指す和賀氏・稗貫氏が旧臣を集めて挙兵(和賀・稗貫一揆)、二子城を奪還した。しかし翌年の再仕置で蒲生氏郷勢に攻略され、当主の和賀義忠は逃亡途中に殺害された。天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「二子 平城 破 信直抱 代官 川村左衛門四郎」とある。

岩崎一揆[編集]

慶長5年(1600年)、南部氏最上出陣中、伊達氏の支援を受けた和賀忠親は再度旧領回復を目指して挙兵(岩崎一揆)し、忠親は二子城を拠点として南部氏と戦った。和賀勢は花巻城を急襲(花巻城の夜討ち)し、三の丸、二ノ丸を制圧して本丸に迫ったが、援軍を得た南部勢に敗れて二子城を放棄、和賀勢は拠点を岩崎城に移した。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 「足利満貞安堵状」鬼柳文書

参考資料[編集]

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年ISBN 4040010302
  • (有)平凡社地方資料センター 『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』 平凡社、1990年7月13日ISBN 4-582-91022-X

関連項目[編集]

外部リンク[編集]