二俣事件

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最高裁判所判例
事件名 強盗殺人、窃盗、住居侵入
事件番号 昭和27(あ)96
1953年(昭和28年)11月27日
判例集 刑集第7巻11号2303頁
裁判要旨
刑事訴訟法第411条第3号にいうところの、「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること」とは、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があると疑うに足る顕著な事由があって、こうした疑いがあるにもかかわらず原判決を確定させれば、著しく正義に反するときには、原判決を破棄することを上告裁判所に許したものと解することができる。
第二小法廷
裁判長 霜山精一
陪席裁判官 栗山茂小谷勝重藤田八郎 谷村唯一郎
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
刑事訴訟法411条3項
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二俣事件(ふたまたじけん)とは、1950年1月6日に当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で発生した、四人が殺害された事件である。逮捕・起訴された少年が地裁・高裁とも死刑判決を受けたが、最高裁が審理を差し戻した後の地裁・高裁とも無罪判決を受け、無罪が確定した。

同じ静岡県内で起きた袴田事件と並ぶ冤罪事件の一つとして知られる。この事件では、当時静岡県警察警部補であり、多くの冤罪を作った紅林麻雄による拷問での尋問と自白強要、これに基づく供述調書作成などが、同僚警官の告発書により明らかとなった。

事件・捜査の概要[編集]

1950年1月6日、当時の静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で、就寝中の父親(当時46歳)、母親(当時33歳)、長女(当時2歳)、次女(当時生後11か月)の四人が殺害された。父親と母親の夫妻は鋭利な刃物で多数の部位を刺傷した出血による刺殺、長女は扼殺、次女は母親の遺体の下で窒息死した。被害者宅の時計は針が11時2分を指した状態で破損し、被害者の血痕がついた犯人の指と推測される指紋が付着していた。建物周辺には被害者一家の靴と合致しない27cmの靴跡痕があり、犯行に使用した刃物と被害者の血痕が付着した手袋が発見された。犯行現場には血痕がついた新聞が残されており、犯人は殺害した後に新聞を読んでいた可能性がある。同じ部屋にいた長男(当時10歳)と次男(当時8歳)と三男(当時5歳)及び隣の部屋にいた祖母(当時87歳)は無事で、朝に起きて殺人に気づいたという。

1950年2月23日、警察は近所の住人である少年(当時18歳)を犯行当時の所在が不明[脚注 1]であるという、犯行の証明にならない推測を理由にして本件殺人の被疑者と推測し、窃盗被疑事件で別件逮捕した。警察は自白の強要と拷問を行って、少年が四人を殺害したとの虚偽の供述調書を作成し、その旨を報道機関に公表した。なお、この供述調書において、殺害現場の柱時計は23時に止まっており、犯行時間が23時の場合はアリバイがあることになるが、警察は、少年が推理小説マニアで、止まった時計の針を回してアリバイを作るという偽装工作が出てくるミステリ映画パレットナイフの殺人[脚注 2]を見ており、近くで当該作品が上映されていることなどの傍証を積み上げてアリバイを否定した。1950年3月12日、検察は少年を強盗殺人の罪で起訴した。

少年を尋問した紅林麻雄警部補拷問による尋問、自白の強要によって得られた供述調書の作成を以前から行っており、幸浦事件小島事件冤罪事件を発生させている。

本事件を捜査していた山崎兵八刑事は読売新聞社に対して、紅林麻雄警部補の拷問による尋問、自白の強要、自己の先入観に合致させた供述調書の捏造を告発した(山崎は警官の職を辞してから告発すると言ったが、読売新聞の記者は万一の場合、本社が一家の生活を保証すると空約束をした)。法廷では弁護側証人として本件の紅林麻雄警部補の拷問による尋問、自白の強要、自己の先入観に合致させた供述調書の捏造、および、紅林麻雄警部補が前記のような捜査方法の常習者であり、県警の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があると証言した。県警は拷問を告発した山崎刑事を偽証罪で逮捕し、検察は精神鑑定(名古屋大学医学部の乾憲男教授による。山崎兵八は脊髄液を採取された)で「妄想性痴呆症」の結果が出たことにより山崎刑事を不起訴処分にして、警察は山崎刑事を懲戒免職処分にした(なお、山崎刑事の自宅は1961年3月14日昼、不審火で焼失。二俣事件関連の書類も全て燃えた。小6の次女と小3の次男は「長靴の男が入るのを目撃した直後に火が出た」と証言したが、警察は次男を補導して犯人扱いし尋問した。火をつけたことが立証されなかったため次男の身柄は解放されたが、この不審火については未解決となった。山崎兵八は運転免許があるので、警察を辞めてもトラック運転手で生計を立てるつもりだったが、精神障害と診断されたために免許を剥奪された)。

少年の無実の根拠、検察が主張する証拠の不証明は下記のとおりである。

  • 被害者宅の破損した時計に付着していた、被害者の血痕が付いた犯人のものと推測される指紋は少年の指紋と合致しない。
  • 少年の着衣・所持している衣服・その他の所持品から、被害者一家の血痕は検出されていない。
  • 少年の足・靴のサイズは24cmであり、被害者宅の建物周辺で検出された、被害者一家の靴と合致せず犯人の靴跡と推測される27cmの靴跡痕とも合致しない。
  • 被害者一家の殺害に使用された鋭利な刃物を少年が入手した証明が無い。
  • 司法解剖の結果、四人の死亡推定時刻はいずれも23時前後であり(検察が主張する犯行時刻は21時)[脚注 3][1]、少年は23時頃には父の営む中華そば店の手伝いで麻雀店に出前に来たという麻雀店店主の証言がある[2]

裁判の経過・結果[編集]

裁判で少年は、捜査段階で警察官に拷問され、虚偽の供述をさせられたが、自分はこの事件にいかなる関与もしていない、無実であると主張した。裁判は下記のとおりの経過・結果になった。

その後[編集]

この事件では、少年の犯罪の証拠は上記の事件の犯行を認めた供述調書であり、事件への関与を証明する物証に乏しかった。またAが犯行日時に被害者宅と別の場所に所在したというアリバイがあったが、警察は無視した。

最終的に裁判では元少年は無罪判決は得たが6年7か月の身柄拘束、無罪確定までの7年8ヶ月の被告人の立場にあった。

真犯人[編集]

少年を犯人視して以降はそれ以外の捜査を行わなかったので、真犯人を探し出すことはできなかった。

なお、山崎元刑事が1997年に出した「現場刑事の告発-二俣事件の真相」では有力容疑者を名指ししている。その人物は幼児の行方が分からなかった段階で母親の下敷きになっていたことを示すなど犯行中に現場にいなければ口にしないであろう言葉を述べていること、被害者が死ぬことで利益を得る立場だったこと、紅林警部がその人物からお金をもらうところを紅林の部下から聞かされたなどの傍証が存在する。

その他[編集]

  • 逮捕された少年は奇術師の松旭斎天左(快楽亭ホスコ)の孫である。

脚注[編集]

  1. ^ 後述の理由によってこれ自体も疑う理由として問題があった。
  2. ^ 1946年公開。原作は江戸川乱歩の短編小説『心理試験』だが、当該のトリックは映画オリジナルで、原作には登場しない。
  3. ^ 厳密に言うと被害者各自の死亡推定時刻は「父親:午後7時20分から翌午前0時20分(翌午後3時20分時点で死後約15~20時間)」、「母親:翌午前0時(翌午後8時10分時点で死後約20時間)」、「長女:午後10時から11時(翌午後5時5分時点で死後約18~19時間)」、「次女:午後11時(翌午後7時5分時点で死後約20時間)」(4人の解剖は父親&次女・母親&長女でそれぞれ別の医師が鑑定している)となり、父親だけは検察側の主張する死亡時刻に間に合うが、状況的にほぼ同時に殺されたと考えられるので、これらの違いは個人差や遺体の状況による誤差で全員の死亡推定時刻が重なる午後10~11時頃と見るのが自然と古畑種基は自書で主張している。

参考文献[編集]

  • 清瀬一郎『拷問捜査 幸浦・二俣の怪事件』日本評論新社
  • 森川哲郎『拷問 権力による犯罪』図書出版会
  • 高杉晋吾『権力の犯罪 なぜ冤罪事件が起きるのか』講談社
  • 上田誠吉後藤昌次郎『誤った裁判 八つの刑事事件』岩波書店
  • 佐藤友之、真壁旲『冤罪の戦後史 つくられた証拠と自白』図書出版社
  • 古畑種基『法医学秘話 今だから話そう』中央公論社
  • 古畑種基『法医学の話』岩波新書、昭和33年。
  • 事件犯罪研究会『明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典』東京法経学院出版
  • 管賀江留郎「二俣事件の真実」『実録 この殺人はすごい!』洋泉社
  • 管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心』洋泉社
  • 山崎兵八『現場刑事の告発 二俣事件の真相』(1997年12月、ふくろう書房)- 自費出版


関連項目[編集]

静岡県警察による拷問や誘導尋問

静岡県警察による冤罪事件。拷問や自白強要での調書作成等

外部リンク[編集]

  • ^ 古畑種基『法医学の話』岩波新書、昭和33年、P6・10-13。
  • ^ 古畑種基『法医学の話』岩波新書、昭和33年、P12-13