コンテンツにスキップ

予算空白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

予算空白(よさんくうはく)とは、本予算案又は暫定予算案が成立しないことで予算支出の根拠がないまま成立させる予定だった予算の執行日を迎えてしまうこと[1]

日本

[編集]

財政法第11条では「国の会計年度は、毎年4月1日に始まり、翌年3月31日に終るものとする」と規定されており、3月31日までに内閣が作成・提出した翌年度本予算案を国会で承認を得て成立させることが基本とされている。本予算が成立しない見込みの場合は財政法第30条により一会計年度のうちの一定期間に係る暫定予算案を作成・提出して国会で承認を得ることで急場をしのぐことになる。

なお、当初予算又は暫定予算が成立しないまま予算の執行日を迎えた場合は現行法では全く想定されていない。日本国憲法下でこのような予算空白という事態は2022年4月時点で最大で7日間ではあるが17回発生しており、その際には恩給費・生活保護費・司法修習生の手当など特定期日に支給すべき経費については支給延期・後払いなどが起こった[2][3][4]

なお大日本帝国時代は大日本帝国憲法第71条で本予算が年度開始前までに成立しなかった場合には前年度の予算がそのまま新年度予算として執行される規定があったため、予算空白が生まれる余地が存在しなかった。

日本国憲法下での国家財政における予算空白の実例

[編集]
日本国憲法下での国家財政における予算空白の実例
年度 予算区分 成立年月日 空白 備考
日数 期間
1948年度 暫定予算 1948年4月1日 1948年4月1日~1948年4月30日
暫定補正予算1号 1948年4月5日 暫定予算の追加
暫定補正予算2号 1948年5月1日 1948年5月1日~1948年5月31日
暫定補正予算3号 1948年5月28日 1948年6月1日~1948年6月30日
本予算 1948年7月4日 3日間 1948年7月1日~1948年7月3日
1949年度 暫定予算 1949年4月1日 1949年4月1日~1949年4月15日
本予算 1949年4月20日 4日間 1949年4月16日~1949年4月19日
1950年度 本予算 1950年4月3日 2日間 1950年4月1日~1950年4月2日
1954年度 本予算 1954年4月3日 2日間 1954年4月1日~1954年4月2日
1966年度 本予算 1966年4月2日 1日間 1966年4月1日
1975年度 本予算 1975年4月2日 1日間 1975年4月1日
1978年度 本予算 1978年4月4日 3日間 1978年4月1日~1978年4月3日
1979年度 本予算 1979年4月3日 2日間 1979年4月1日~1979年4月2日
1980年度 本予算 1980年4月4日 3日間 1980年4月1日~1980年4月3日
1981年度 本予算 1981年4月2日 1日間 1980年4月1日
1982年度 本予算 1982年4月5日 4日間 1982年4月1日~1982年4月4日
1983年度 本予算 1983年4月4日 3日間 1983年4月1日~1983年4月3日
1985年度 本予算 1985年4月5日 4日間 1985年4月1日~1985年4月4日
1986年度 本予算 1985年4月4日 3日間 1985年4月1日~1985年4月3日
1988年度 暫定予算 1988年4月5日 4日間 1988年4月1日~1988年4月4日 1988年4月1日~1988年4月8日
本予算 1988年4月7日
1989年度 暫定予算 1989年3月31日 1989年4月1日~1989年5月20日
本予算 1988年5月28日 7日間 1989年5月21日~1989年5月27日
1990年度 暫定予算 1990年4月4日 3日間 1990年4月1日~1990年4月3日 1990年4月1日~1990年5月20日
暫定予算補正1号 1990年5月28日 1990年5月21日~1990年6月8日
本予算 1990年6月7日

日本以外

[編集]
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国では予算決議案(当初予算や暫定予算)が成立しない場合、当面は臨時措置による予算で政府が運営されるが、この資金が枯渇すると政府閉鎖米国債債務不履行という事態が発生する[5]
プロイセン
プロイセンにおいてはオットー・フォン・ビスマルク首相が軍制改革の予算案が議会で否決された際に「憲法に国王と両議院のいずれもが予算に同意できない場合の取り扱いが規定されておらず、だからといって予算不成立を理由に国家運営を停止させるわけにはいかない以上、首相は主権者たる国王からの負託に基づいて国家運営を行うべき」として無予算統治を正当化する論拠に空隙説を用いた。無予算統治は1862年から1866年まで4年に及び、その間に無予算統治は違憲とする議会側と対立したが、最終的には1866年にビスマルクが無予算統治期間の予算について議会に事後承認を求める事後承認法を提出する代わりに、無予算統治は国政運営上不可避であったとして免責を得ることで議会と妥協した[要出典]

出典

[編集]
  1. ^ 「国会審議の形がい化、委員会の開催は半分以下 89年度予算自然成立」『朝日新聞朝日新聞社、1989年5月28日。
  2. ^ 大石眞 (2001), p. 104-105.
  3. ^ 内閣法制局 情報公開資料 (2018), p. 400.
  4. ^ 石原淳「国会キーワード75 暫定予算」『立法と調査』第339号、参議院事務局企画調整室、2013年4月、68頁。 
  5. ^ “アメリカ“政府資金枯渇し債務不履行も”財務長官が議会に警告”. NHKニュース (NHK). (2021年9月29日). オリジナルの2021年10月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211008111655/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210929/k10013281711000.html 2022年10月25日閲覧。 

参考文献

[編集]
  • 大石眞『議会法』有斐閣有斐閣アルマ : Advanced〉、2001年12月。ASIN 4641121184ISBN 4-641-12118-4NCID BA55024588OCLC 676212564全国書誌番号:20235716 
  • 内閣法制局 情報公開資料『憲法関係答弁例集(3)』信山社〈信山社ブックス〉、2018年6月29日。ASIN 4797286423ISBN 978-4-7972-8642-7NCID BB26495409OCLC 1052762717全国書誌番号:23086384 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]