亀甲船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ソウル特別市戦争記念館に展示されている亀甲船(復元)。鉄製の屋根の存在については論争がある。

亀甲船(きっこうせん、きこうせん、朝鮮語: 거북선)または亀船(きせん、朝鮮語: 거선)は、李氏朝鮮時代に存在したとされる朝鮮水軍の軍艦の一種。

史書の記録[編集]

1795年に描かれた亀甲船の絵画。船体の木製の装飾はこの絵が描かれた同年代のもの。『李舜臣行録』などの記述を元にしている。

亀甲船は複数の史書にその存在が記されている軍艦である。ただし、現存する当時の船体がないことや、史書の記述があいまいな事から、詳細が不明な点も少なくない。

亀甲船についての記述が初めて登場するのは15世紀の太宗実録である[1]豊臣秀吉による文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)で実際に5隻が運用されたとされる。日本側の記録には登場しない。

  • 李舜臣行録
    「亀甲船の大きさは、板屋船(当時の主力戦艦)とほぼ同じく上を板で覆い、その板の上には十字型の細道が出来ていて、やっと人が通れるようになっていた。そしてそれ以外は、ことごとく刀錐(刀模様のきり)をさして、足を踏み入れる余裕も無かった」、「前方には竜頭を作り、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があった。左右にはそれぞれ6個の銃口があり、船形が亀のようであったので亀甲船と呼んだ」、「戦闘になると、かや草のむしろを刀錐の上にかぶせてカモフラージュしたので、敵兵がそれとも知らず飛び込むとみな刺さって死んだ。また、敵船が亀甲船を包囲するものなら、左右前後から一斉砲火をやられた」

亀甲船(亀船)が具体的に登場する史書は、『李舜臣行録』と『忠武公戦書(李忠武公全書)』(『乱中雑録(乱中日記)』)のみで、名前だけが登場するものに『太宗実録』などがある。

観光用として[編集]

現在、慶尚南道昌原市鎮海区海軍士官学校博物館で研究者らにより、想像に基づいて製作された亀甲船が展示されている。同海軍士官学校の学生は、在学中に一度は必ず亀甲船での航海を体験し、伝統を学ぶ。毎年、の花が咲く十日間の軍港祭期間中のみ一般公開されており、十人程度の一般客が乗り込む事ができるようになっている。

慶尚南道では亀甲船を2011年末にかけて復元し、観光商品化すると明らかにした。新説に基づいて3階構造の亀甲船と板屋船など4隻が新造された[2]

2013年1月、巨済島に運ばれて水上展示される予定だった亀甲船の想像による再現船が、曳航中に沈没した。製作費は7億ウォン以上を要したとされる[3]

ゲーム等の創作物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『太宗実録』十三年二月五日甲寅
    上過臨津渡觀龜船倭船相戰之狀
    『太宗実録』十五年七月十六日辛亥
    其六龜船之法衝突衆敵而敵不能害可謂決勝之良策更令堅巧造作以備戰勝之具
  2. ^ “3階構造の亀甲船を復元して観光商品に”. 中央日報. (2009年12月11日). http://japanese.joins.com/article/822/123822.html 
  3. ^ “거제 오던 ‘거북선’ 여수 앞바다서 침수”. newsgn. (2013年1月15日). http://www.newsgn.com/sub_read.html?uid=35247 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]