乞乞仲象

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乞乞仲象(きつきつ ちゅうしょう、生年不詳 - 699年)は渤海を建国した大祚栄の父。『新唐書』に粟末靺鞨の出身で、粟末靺鞨の酋長乞四比羽と共に営州都督の趙文翽への反旗を翻した記載がある。『遼史』にも乞乞仲象の氏族である大氏は挹婁より始まるとの記述がある。

井上秀雄は、『新唐書』渤海伝に、乞乞仲象は舎利という官職を保有していたと記されており、かかる事実から乞乞仲象は契丹系豪族であると述べている[1][2]

「萬歲通天中,契丹盡忠殺營州都督趙翽反,有舍利乞乞仲象者,與靺鞨酋乞四比羽及高麗餘種東走,度遼水,保太白山之東北,阻奧婁河,樹壁自固。[3]」(『新唐書』渤海伝)
万歳通天(六九六)年間に、契丹の(李)尽忠は営州都督の趙翽に反逆して彼を殺した。(この乱に乗じた)舎利の乞乞仲象は、靺鞨の酋長の乞四比羽や高(句)麗の遺民たちとともに東に移り、遼水(遼河)を渡って、太白山(長白山)の東北を確保した。この地は奥婁河(牡丹江)に遮られ、壁を築き、守りをしっかり固めていた[4]

旧唐書』には乞乞仲象の名は出てこない一方で、『新唐書』渤海伝では、乞乞仲象と大祚栄は父子関係となっており、池内宏は、乞乞仲象と大祚栄を異名同人と主張し(『満鮮史研究』)、鳥山喜一は、乞乞仲象と大祚栄は父子関係ではないそれぞれ別個の存在と主張し(『渤海史上の諸問題』)、新妻利久は、乞乞仲象と大祚栄は父子関係と主張している(『渤海国史及び日本との国交史の研究』)[4]

脚注[編集]

  1. ^
  2. ^ 井上秀雄 『東アジア民族史 2-正史東夷伝』 平凡社東洋文庫283〉、1976年1月、426頁。ISBN 978-4582802832「舎利は『五代会要』巻三十渤海上に『有高麗別種大舎利乞乞仲象大姓,舎利官,乞乞仲象名也』とあるので、官名であることがわかる。また『遼史』巻一一六国語解は『契丹豪民耍裹頭巾者,納牛駝十頭,馬百疋,乃給官名曰舍利。』と記し、舎利とは、権力の誇示ができる頭巾を欲する豪民が、牛駝と馬を代償として払うことにより得られた官名であったことがわかる。したがって乞乞仲象は、契丹系の豪族であったといえるだろう。」
  3. ^
  4. ^ a b 井上秀雄 『東アジア民族史 2-正史東夷伝』 平凡社東洋文庫283〉、1976年1月、426頁。ISBN 978-4582802832