九鬼主殿助

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九鬼 主殿助
時代 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長5年10月22日1600年11月27日
主君 豊臣秀吉秀頼
氏族 九鬼氏
父母 九鬼嘉隆
兄弟 成隆、娘(豊田五郎右衛門室)、娘(甲賀左馬室)、徳隆守隆主殿助五郎八、娘(渡辺直次室)、五郎九郎
北勝蔵
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九鬼 主殿助(くき とのものすけ、? - 慶長5年10月22日1600年11月27日))[1]は、日本安土桃山時代末期の武将九鬼嘉隆の四男。

慶長5年の関ヶ原の戦いでは父の嘉隆や舅、弟の五郎八らとともに西軍に属し、兄の九鬼守隆らと戦う。9月15日の本戦で西軍が壊滅すると、嘉隆らは鳥羽城を放棄して答志島に逃亡した。10月12日に父が答志島の和具の洞仙庵で自害するとそれを追うように志摩浦村で自刃した。

脚注[編集]

  1. ^ 曾我部一紅編(1911)『鳥羽誌』, 42.