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北部九州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九州北部から転送)
北部九州のデータ
5県(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県)の合計
日本の旗 日本
面積 25,256.75km2
総人口 9,917,594
(直近の統計[注釈 1]
人口密度 392.7人/km2
(直近の統計[注釈 1]
3県(福岡県、佐賀県、長崎県)の合計
日本の旗 日本
総人口 7,137,139
(直近の統計[注釈 2]
人口密度 617.5人/km2
(直近の統計[注釈 2]

北部九州ほくぶきゅうしゅうは、九州のうち北部に位置する地域の呼称である。

古くは北九州きたきゅうしゅうと呼ばれていたが、1963年昭和38年)に北九州市が誕生したことにより、混同を避けるために「北部九州」と呼称されるようになった。これにより、以前から九州の南北を表す際に使っていた「北九州・南九州」から「北部九州・南九州」という他地域にはない独特の表現が定着した。

2007年の鹿児島県南九州市の誕生により、「南九州」も「北部九州」に倣って「南部九州」という呼称が用いられることもあったが、そもそも「北部九州」という呼称にやや無理があったこともあり、近年では一般的な「九州北部・九州南部」の呼称が定着しつつある。

北部九州の地域区分

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北部九州(5県の場合)
例外的に山口県を含めるのが、気象庁の地方予報区における九州北部地方。
例外的に山口県を含めるのが、気象庁の地方予報区における九州北部地方。

九州を南北に分割する区分はしばしば用いられ、二分する場合は北九州(北部九州、九州北部)と南九州(南部九州、九州南部)、三分する場合はこれに中九州(中部九州、九州中部)が加わる。

一般的には、二分する場合は福岡県佐賀県長崎県熊本県大分県の5県を、三分する場合は福岡県・佐賀県・長崎県の3県を指すが、前者に関しては官公庁の業務管轄および民間企業の業務所掌エリアによっても大きく違ってくるため、必ずしもこの通りになるとは限らない(後述)。

その他の範囲

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なお、熊本県や大分県だけでなく、福岡県大牟田市や長崎県島原半島についても中九州と呼んだり、佐賀県・長崎県を西九州、福岡県北九州地方の瀬戸内海沿岸地域や大分県を宮崎県などとともに東九州と呼んだりすることも多い。

また、在福(福岡)の民放テレビ局のうち、九州朝日放送(KBC)・RKB毎日放送(RKB)・福岡放送(FBS)・TVQ九州放送は、法律上の放送区域は福岡県域であるものの、実際の視聴可能エリアと取材エリアは福岡・佐賀の両県にまたがるため、地域ニュースを扱う時に「北部九州」或いは「九州北部地方」という言葉を使うことが多い。

SUNQパスでは福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県の5県と山口県下関市[注釈 4]を北部九州としている。

歴史

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背景

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古くからアジア大陸との窓口として盛えた地方で、特に中国朝鮮半島からの文化を輸入する窓口となった。稲作が伝来した地とも言われ、金印吉野ヶ里遺跡大宰府鴻臚館こうろかん元寇防塁跡など、大陸日本の接点を示す遺跡が多い。邪馬台国の所在地も、北部九州説と畿内説の二説が存在し、未だ決着が着いていない。

黒田氏のお膝元だった福岡博多)は、鴻臚館こうろかんの時代から安土桃山時代まで中国・朝鮮との貿易港として栄えた都市で、今でも九州第一の都市となっている。また、安士桃山時代以降は、長崎が西洋・中国文化を取り込む港町として九州をリードした。

変遷

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古代

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ヤマト王権誕生以前の時代においては、大和(近畿)、出雲(山陰)と並ぶ有力な地域であった。磐井などの豪族や、伊都国糸島市付近)や末盧国唐津市付近)などの小国家が存在した。

律令時代

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畿内政権は、北部九州を外交・防衛の中枢として位置付けた。その中枢都市が大宰府太宰府市)であり、外港として博多福岡市)が機能した。大宰府は「遠の朝廷」(とおのみかど)とも呼ばれ、外港たる博多には迎賓館に当たる「鴻臚館こうろかん」が置かれ、大宰府は南日本第一の都市となった。

室町時代

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大内氏山口を本拠地として、周防国から豊前筑前までを統治下に置いた。

戦国時代から江戸時代まで

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長崎平戸府内大分市)をはじめとして、南蛮貿易キリスト教布教の地盤となった。又、商人自治都市が造られるようになり、その中で博多は商人町となって九州の要衝となり、バテレン追放令の舞台ともなった。

江戸時代

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鎖国体制下で、長崎が本土では唯一[注釈 5] の貿易港として盛えた。主な天領としては、黒田氏福岡藩小笠原氏小倉藩鍋島氏佐賀藩細川氏熊本藩日田天領などが置かれた。

明治時代以後

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明治時代になると、北部九州や山陽地方経済軍事の要衝となった。特に北九州筑豊一帯には、筑豊炭田八幡製鉄所などが立地し製工業の中心地ともなった。また、有明海沿岸の三池炭鉱なども隆盛を極めた。この時代は、高度経済成長期まで続いた。

自然地理

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気候

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全体を通して見ると温暖・夏雨・(太平洋側としては)冬季寡照かしょう気候である。 年間降水量の3分の1が梅雨の期間に集中し、また西側に陸地がなく暖湿流の供給源となる海が広がっているため、梅雨末期の集中豪雨に特に見舞われやすい地域である。線状降水帯が形成されやすい場所で大雨特別警報の発表も多く、特に福岡県筑後地方では2017-21年に5年連続で発表された。

本州のように最高気温が40℃以上になることはないが、真夏日熱帯夜日数は本土でもトップクラスに多い。低緯度かつ中国大陸からの熱波(チベット高気圧)の影響を受けやすいため、暑い期間が本州の猛暑地帯と比べても長く、都市化の影響を受けない地域でも夜の気温が下がりにくいのが特徴である。熊本市日田市などの内陸部は猛暑日も全国でも特に多い地域で、最高気温は南九州よりも高くなる日が多い。また、冷夏となることもほとんどなく安定して暑い。また、晩夏から秋にかけては南九州ほどではないが台風の影響を受けやすい。

玄界灘沿岸の福岡県・佐賀県の北部は日本海側に位置し、山陰北陸地方よりは降雪日数は少ないが、冬季は北西からの季節風の影響を受けやすいため曇りの日が多く、が降ることもある。福岡市の降雪日数は約17日(1971年(昭和46年) - 2000年平成12年)の平年値)。ただ、積雪は英彦山などが属する筑紫山地のような山地では見られるものの、平野部や都市部では多くはない。

瀬戸内側である福岡県北九州地方から大分県北・中部にかけての地域は瀬戸内海気候に属し、温暖で梅雨台風を除いて降水量は少なく、日本海側とは対照的に晴天が多い気候である。また、長崎県・佐賀県南部から福岡県筑後地方、熊本県にかけての有明海沿岸地域も似たような気候傾向がある。

経済

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太平洋ベルトの西端に当たる。洞海湾から周防灘にかけての地域には北九州工業地帯が形成されており、ここは日本の工業地帯の先駆けとなった地域でもある。自動車工業造船業が盛ん。

交通

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交通拠点としては、北九州下関本州と九州の接点として、鳥栖が九州の東西軸(長崎佐世保大分)と南北軸(福岡熊本鹿児島宮崎)が交差する十字路として機能している。

鉄道

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山陽新幹線東海道山陽新幹線系統も)が博多駅を終点とする。また、2011年(平成23年)3月12日に全通した九州新幹線は、博多駅を起点、鹿児島中央駅を終点とする。

主な鉄道路線

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西日本旅客鉄道(JR西日本)
九州旅客鉄道(JR九州)
西日本鉄道(西鉄)
松浦鉄道
平成筑豊鉄道

主な道路

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主な空港

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 統計日は、福岡県が2024年11月1日、佐賀県が2024年11月1日、長崎県が2024年11月1日、熊本県が2024年11月1日、大分県が2024年11月1日。
  2. ^ a b 統計日は、福岡県が2024年11月1日、佐賀県が2024年11月1日、長崎県が2024年11月1日。
  3. ^ この区分における4県の合計データは次のとおりである。
     面積:17,847.27㎢
     総人口:8,221,849人
     人口密度:460.7人/㎢
    統計日は、福岡県が2024年11月1日、佐賀県が2024年11月1日、長崎県が2024年11月1日、大分県が2024年11月1日。
  4. ^ 下関市に本社を置くサンデン交通及びブルーライン交通を含む旨を示しており、実際の利用可能範囲は2社の運行範囲である山陽小野田市美祢市長門市の一部も含まれる。
  5. ^ 他に対馬の府中(現在の厳原

出典

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