乙訓寺

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乙訓寺
OtokuniDera.JPG
表門
所在地 京都府長岡京市今里3-14-7
位置 北緯34度56分10.6秒 東経135度41分20.6秒 / 北緯34.936278度 東経135.689056度 / 34.936278; 135.689056座標: 北緯34度56分10.6秒 東経135度41分20.6秒 / 北緯34.936278度 東経135.689056度 / 34.936278; 135.689056
山号 大慈山(だいじざん)
宗派 真言宗豊山派
本尊 合体大師像(弘法大師・八幡神)
創建年 伝・飛鳥時代
開基 伝・聖徳太子推古天皇(勅願)
別称 牡丹寺、今里の弘法さん
札所等 京都洛西観音霊場6番
文化財 毘沙門天立像(重文)
十一面観音立像・本堂ほか(市文化財)
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乙訓寺(おとくにでら)は京都府長岡京市にある真言宗豊山派の寺院。牡丹の寺として知られる。

概要[編集]

寺伝では推古天皇の勅命により聖徳太子が建立したと言われている古刹である。創建の正確な事情や時期は未詳であるが、境内出土の瓦の年代から、長岡京造営以前、奈良時代の創建と推定されている。

延暦3年(784年桓武天皇長岡京を造営した際には都の地鎮として大規模に増築されている。また藤原種継暗殺事件の首謀者の嫌疑をかけられた早良親王が幽閉された場所でもあるとされ、空海が一時住したともいわれる。 長岡京が廃都となっても大規模な伽藍を擁し室町時代でも10を越す僧坊があったという。(事実、隣接する長岡京市立長岡第三小学校の大部分は学校建設前は寺の敷地であった。)

今でこそ牡丹の寺として有名であるが牡丹を植生する前の往年は寂しい佇まいの寺であった。現在、豊山派総本山である長谷寺より2,000株の牡丹が移植されている。見頃は4月下旬より5月上旬。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)
  • 木造毘沙門天立像 - 平安時代後期
長岡京市指定文化財
  • 十一面観世音菩薩立像
  • 本堂
  • 八幡社
  • 鐘楼
  • 表門(南門)
  • 裏門(東門)
その他
  • 講堂跡(長岡京市立長岡第三小学校校庭に埋没保存)
  • 乙訓寺窯跡

アクセス[編集]

周辺[編集]

外部リンク[編集]