乙川駅
| 乙川駅 | |
|---|---|
|
駅舎(2018年6月) | |
|
おっかわ Okkawa | |
![]() | |
| 所在地 | 愛知県半田市乙川町112 |
| 駅番号 | CE06 |
| 所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
| 所属路線 | ■武豊線 |
| キロ程 | 12.8 km(大府起点) |
| 電報略号 | ツワ |
| 駅構造 | 地上駅 |
| ホーム | 2面2線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
1,132人/日(降車客含まず) -2024年- |
| 開業年月日 | 1933年(昭和8年)12月7日 |
| 備考 |
|
乙川駅(おっかわえき)は、愛知県半田市乙川町にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線の駅である。駅番号はCE06。
大府駅と武豊駅を結ぶ武豊線の中間駅(途中駅)の一つで、半田市中部の乙川地区に位置する。また、かつては中部国際空港(セントレア)への空港アクセス路線の分岐駅としても構想されていた(後述)。
歴史
[編集]乙川駅は、1886年(明治19年)の武豊線開通から40年以上経った1933年(昭和8年)12月に開業した。1930年代前半に開通した知多鉄道(現・名鉄河和線)への対抗策として実施された気動車列車の運転開始・列車増便(1933年(昭和8年)8月実施)にあわせて新設された駅の一つである[1]。
同時に開業した他の駅と同じく旅客専用の駅であったが、1944年(昭和19年)から貨物や荷物の取り扱いを開始した。しかし他の武豊線の駅と同様に、1975年(昭和50年)に貨物、1984年(昭和59年)には荷物の取り扱いを終了し、開業時と同様の旅客専用の駅となったまま1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化を迎え、JR東海に継承されている。
1990年代には、2005年(平成17年)に開港した中部国際空港(セントレア)へのアクセス路線として、名鉄常滑線を利用したルート(名鉄空港線として実現)と武豊線を利用したルートの2ルートが有力なルートとして構想されており[2]、武豊線利用ルートの場合は乙川駅で武豊線から分岐し、知多半島を東西に横断する形で新線を建設するものと想定されていた[3][4]。また愛知環状鉄道線の三河上郷駅から新安城駅・三河安城駅などを経由して乙川駅に至り、乙川から空港までは武豊線ルートと共通のルートを利用して豊田市方面などから空港へアクセスする鉄道路線を構築する構想もあったが、その構想によれば、乙川 - 空港間の途中では住吉町駅で名鉄河和線と接続し、知多横断道路沿いの山林部分と常滑駅を経由して空港島に至るものと想定されていた[5]。しかし、この構想を実現するにあたっては新規建設区間が約11 kmと長大であること[4]、また当時単線・非電化だった乙川駅以北の既設区間も複線化・電化などの改良が必要となることから[6]、その事業費は1000 - 1300億円と高額になると試算されており[4]、この構想は開港から20年が経過した2025年(令和7年)時点でも実現しておらず、未成線のままとなっている。なお武豊線は2015年(平成27年)に全線が電化されたが、複線化は2025年時点でも実現していない。
年表
[編集]- 1933年(昭和8年)12月7日:国有鉄道武豊線の駅として、亀崎・半田間に開業。旅客のみを取り扱い、荷物(手荷物・小荷物)や貨物は取り扱わなかった[7]。
- 1939年(昭和14年)7月21日:上記各駅に加え、中央本線 大曽根駅・千種駅・鶴舞駅を発着する旅客の取り扱いも開始[7]。
- 1944年(昭和19年)4月1日:貨物と手荷物の取り扱いを開始、同時に旅客の取り扱い制限を廃止[7]。同月に駅舎を新設[8]。
- 1952年(昭和27年)11月1日:小荷物の取り扱いを開始[7]。
- 1975年(昭和50年)11月15日:貨物の取り扱いを廃止[7]。
- 1980年(昭和55年)5月1日:業務委託駅となる[8]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物の取り扱いを廃止[7]。
- 1985年(昭和60年)4月1日:駅員無配置駅となる[9]が、同年4月10日から当分の間の暫定措置として管理駅から職員を派遣する[10]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東海旅客鉄道(JR東海)の駅となる[7]。
- 1989年(平成元年)3月10日:無人駅化[8]。
- 2006年(平成18年)
- 2013年(平成25年)10月1日:集中旅客サービスシステム(現・お客様サポートサービス)の導入に伴い、自動券売機・自動改札機を設置[11][12]。
貨物営業
[編集]乙川駅は1933年(昭和8年)の開業時は貨物を取り扱っていなかったが、上記の通り1944年(昭和19年)4月1日より取り扱いを開始した。ただし全種別を取り扱うのではなく、専用線発着の車扱貨物に限定していた[7]。周囲の武豊線の駅と同じように、1975年(昭和50年)11月15日に貨物の取り扱いを終了している。
駅に接続する専用線は、駅の南側に工場がある輸送機工業のものがあった。専用線は同社が前身の中島飛行機半田製作所であった1944年(昭和19年)に敷設された[13]。同線は1970年の専用線一覧表[14]によれば、作業キロが0.7km、総延長キロが2.0kmであった。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線の地上駅。単線区間上にある交換駅であり、列車の交換が可能である。
駅舎は1番線側にあり、2つのホームを結ぶ跨線橋が設置されている[15]。カインズホームなどがある2番線に出入口はない。大府駅管理の無人駅(駅員無配置駅)[15][16][17]。JR東海は2013年(平成25年)10月1日より当駅を含む6駅について「集中旅客サービスシステム(現・お客様サポートサービス)」を導入し、自動券売機・自動改札機を整備した上で遠隔案内によって一括的に管理されるようになった[11][12]。
のりば
[編集]| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 1 | CE 武豊線 | 上り | 大府・名古屋方面[18] |
| 2 | 下り | 武豊方面[18] |
- 改札口(2020年7月)
- 自動券売機(2022年11月)
- ホーム(2022年11月)
- 駅名標(2020年7月)
利用状況
[編集]旅客
[編集]『愛知県統計年鑑』および『知多半島の統計』によれば、1日平均の乗車人員は以下の通りであった[19][20]。
| 1日平均の乗車人員の推移 | ||
|---|---|---|
| 年度 | 乗車人員 | 出典・備考 |
| 1950年度 | 769人 | [21] |
| 1951年度 | 948人 | [22] |
| 1952年度 | 910人 | [23] |
| 1953年度 | 954人 | [24] |
| 1954年度 | 920人 | [25] |
| 1955年度 | 880人 | [26] |
| 1956年度 | 948人 | [27] |
| 1957年度 | 993人 | [28] |
| 1958年度 | 989人 | [29] |
| 1959年度 | 1,025人 | [30] |
| 1960年度 | 1,150人 | [31] |
| 1961年度 | 1,093人 | [32] |
| 1962年度 | 1,054人 | [33] |
| 1963年度 | 1,133人 | [34] |
| 1964年度 | 1,117人 | [35] |
| 1965年度 | 1,164人 | [36] |
| 1966年度 | 1,148人 | [37] |
| 1967年度 | 1,202人 | [38] |
| 1968年度 | 1,148人 | [39] |
| 1969年度 | 1,009人 | [40] |
| 1970年度 | 910人 | [41] |
| 1971年度 | 853人 | [42] |
| 1972年度 | 814人 | [43] |
| 1973年度 | 803人 | [44] |
| 1974年度 | 848人 | [45] |
| 1975年度 | 854人 | [46] |
| 1976年度 | 870人 | [47] |
| 1977年度 | 806人 | [48] |
| 1978年度 | 768人 | [49] |
| 1979年度 | 753人 | [50] |
| 1980年度 | 667人 | [51] |
| 1981年度 | 616人 | [52] |
| 1982年度 | 584人 | [53] |
| 1983年度 | 542人 | [54] |
| 1984年度 | 508人 | [55] |
| 1985年度 | 513人 | [56] |
| 1986年度 | 482人 | [57] |
| 1987年度 | 509人 | [58] |
| 1988年度 | 535人 | [59] |
| 1989年度 | 480人 | 1950年度以降最低値[60] |
| 1990年度 | 644人 | [61] |
| 1991年度 | 694人 | [62] |
| 1992年度 | 765人 | [63] |
| 1993年度 | 805人 | [64][65] |
| 1994年度 | 885人 | [66][65] |
| 1995年度 | 882人 | [67][65] |
| 1996年度 | 814人 | [68][69] |
| 1997年度 | 798人 | [70][69] |
| 1998年度 | 767人 | [71][72] |
| 1999年度 | 771人 | [73][74] |
| 2000年度 | 773人 | [74] |
| 2001年度 | 820人 | [74] |
| 2002年度 | 837人 | [75] |
| 2003年度 | 860人 | [75] |
| 2004年度 | 870人 | [75] |
| 2005年度 | 921人 | [76] |
| 2006年度 | 1,002人 | [76] |
| 2007年度 | 1,079人 | [76] |
| 2008年度 | 1,102人 | [77] |
| 2009年度 | 1,049人 | [77] |
| 2010年度 | 1,069人 | [77] |
| 2011年度 | 1,019人 | [78] |
| 2012年度 | 1,012人 | [79] |
| 2013年度 | 1,680人 | 1950年度以降最大値[79] |
| 2014年度 | 1,123人 | [80] |
| 2015年度 | 1,160人 | [81] |
| 2016年度 | 1,136人 | [82] |
| 2017年度 | 1,169人 | [83] |
| 2018年度 | 1,178人 | [83] |
| 2019年度 | 1,200人 | [84] |
| 2020年度 | 965人 | [85] |
| 2021年度 | 1,025人 | [85] |
| 2022年度 | 1,052人 | [85] |
| 2023年度 | 1,090人 | [86] |
| 2024年度 | 1,132人 | [86] |
貨物・荷物
[編集]1950年度から1975年度(1975年11月取扱廃止)までの貨物の取扱量(発送および到着トン数)と、1972年度から1983年度(1984年2月取扱廃止)までの荷物の取扱量(発送および到着個数)は以下の表に示すとおりに推移していた。
| 貨物取扱量・荷物取扱量の推移 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | 貨物 | 荷物 | ||
| 発送 | 到着 | 発送 | 到着 | |
| 1950年度 | 3,728t | 4,285t | ||
| 1951年度 | 4,031t | 10,304t | ||
| 1952年度 | 1,797t | 4,513t | ||
| 1953年度 | 2,602t | 9,689t | ||
| 1954年度 | 3,571t | 9,623t | ||
| 1955年度 | 2,008t | 5,060t | ||
| 1956年度 | 6,743t | 6,215t | ||
| 1957年度 | 5,454t | 10,001t | ||
| 1958年度 | 2,999t | 5,145t | ||
| 1959年度 | 3,571t | 8,485t | ||
| 1960年度 | 5,097t | 3,959t | ||
| 1961年度 | 2,782t | 2,231t | ||
| 1962年度 | 4,202t | 2,625t | ||
| 1963年度 | 5,299t | 1,254t | ||
| 1964年度 | 4,718t | 862t | ||
| 1965年度 | 3,288t | 410t | ||
| 1966年度 | 6,064t | 817t | ||
| 1967年度 | 5,549t | 1,739t | ||
| 1968年度 | 5,897t | 1,571t | ||
| 1969年度 | 2,475t | 1,723t | ||
| 1970年度 | 598t | 281t | ||
| 1971年度 | 6,272t | 384t | ||
| 1972年度 | 679t | 1,760t | 5,747個 | 2,833個 |
| 1973年度 | 6,638t | 338t | 5,512個 | 2,849個 |
| 1974年度 | 6,867t | 231t | 5,149個 | 2,878個 |
| 1975年度 | 2,825t | 102t | 3,717個 | 2,722個 |
| 1976年度 | 3,319個 | 2,553個 | ||
| 1977年度 | 3,359個 | 2,527個 | ||
| 1978年度 | 3,156個 | 2,475個 | ||
| 1979年度 | 2,814個 | 2,800個 | ||
| 1980年度 | 2,604個 | 2,606個 | ||
| 1981年度 | 1,822個 | 2,653個 | ||
| 1982年度 | 1,193個 | 2,521個 | ||
| 1983年度 | 316個 | 2,010個 | ||
| ※出典は乗車人員の推移に同じ。 | ||||
停車列車
[編集]駅周辺
[編集]
バス路線
[編集]駅北東側交差点付近に「乙川駅前」バス停があり、半田市中心部にある名鉄知多半田駅からJR半田駅、半田市役所、当駅、一ノ草病院前を経て同市北部にある日本福祉大学半田キャンパスを結ぶ知多乗合(知多バス)の半田北部線が利用できる。一部の知多半田方面行きのバスは知多半田から先、青山駅を経て常滑駅まで直通している。
その他
[編集]2駅南側にある武豊線東成岩駅から衣浦港中央埠頭にある半田埠頭駅へ至る衣浦臨海鉄道半田線は1975年(昭和50年)に開業したが、当初の計画ではこの乙川駅から中央埠頭を経て東成岩駅へ接続し、実際に開業した新半田駅と半田埠頭駅に加えて「新乙川駅」を開設する予定であった[87]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ 『新修半田市誌』本文篇中巻、353-358頁
- ↑ 『中日新聞』1993年3月27日朝刊三面3頁「中部新空港 鉄道アクセスで4案 中経連委整備構想 道路網も広域化図る」(中日新聞社)
- ↑ 『朝日新聞』1997年4月18日名古屋朝刊第三社会面29頁「乙川駅から西へ 新空港鉄道で半田市が周辺整備計画【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
- 1 2 3 愛知県企画部 1995, p. 74.
- ↑ 『毎日新聞』1996年8月29日中部朝刊愛知地方版「愛環鉄道の分岐・延伸、「三河上郷―空港島」36キロを想定――交通審議会 /愛知」(毎日新聞中部本社)
- ↑ 『毎日新聞』1995年6月21日中部夕刊社会面6頁「中部新国際空港への鉄道アクセス、JR線活用も推進――鈴木礼治・愛知県知事」(毎日新聞中部本社)
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 『停車場変遷大事典』2、115頁
- 1 2 3 4 『武豊線物語』、23-25・185頁
- ↑ “「通報」身延線甲斐常葉駅ほか36駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 3. (1985年3月27日)
- ↑ “21駅を停留所化 高山線など3線 約60人削減、4月実施 名鉄局”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1985年3月28日)
- 1 2 『武豊線 集中旅客サービスシステムの使用開始について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2013年8月22日。オリジナルの2016年9月25日時点におけるアーカイブ。2020年12月19日閲覧。
- 1 2 『武豊線への集中旅客サービスシステムの導入について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2012年11月15日。オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。2020年12月19日閲覧。
- ↑ 『武豊線物語』
- ↑ 「昭和45年版の全国専用線一覧表」(『トワイライトゾーンMANUAL』12に収録)
- 1 2 『東海道ライン全線・全駅・全配線』、26・47頁
- ↑ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
- ↑ https://web.archive.org/web/20181105213818/http://www.geocities.jp/jrcu_nagoyatihon/gyoumu/gyoumu218.pdf
- 1 2 駅構内の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(駅掲示用時刻表のPDFが使われているため。2015年1月現在)。
- ↑ 愛知県統計年鑑 - 愛知県
- ↑ 知多半島の統計 - 半田市
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和27年度刊、326頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和28年度刊、310頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和29年度刊、329頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和30年度刊、305頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、303頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和32年度刊、319頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和33年度刊、335頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和34年度刊、379頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和35年度刊、292頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和36年度刊、261頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和37年度刊、325頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和38年度刊、297頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和39年度刊、299頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和40年度刊、263頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和41年度刊、239頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和42年度刊、262頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和43年度刊、192頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和44年度刊、196頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和45年度刊、204頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和46年度刊、228頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和47年度刊、237頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和48年度刊、217頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和49年度刊、214頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和50年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和51年度刊、225頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和52年度刊、217頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和53年度刊、231頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和54年度刊、233頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和55年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和56年度刊、227頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和57年度刊、239頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和58年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和59年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和60年度刊、241頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和61年度刊、235頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和62年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和63年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成元年度刊、225頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成2年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成3年度刊、225頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成4年度刊、229頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成5年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成6年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成7年度刊、239頁
- 1 2 3 『知多半島の統計』平成9年版、46頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成8年度刊、241頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成9年度刊、243頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成10年度刊、241頁
- 1 2 『知多半島の統計』平成11年版、46頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成11年度刊、241頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成12年度刊、239頁
- ↑ 『知多半島の統計』平成12年版、46頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成13年度刊、240頁
- 1 2 3 『知多半島の統計』平成15年版、46頁
- 1 2 3 『知多半島の統計』平成18年版、114頁
- 1 2 3 『知多半島の統計』平成21年版、43頁
- 1 2 3 『知多半島の統計』平成24年版、43頁
- ↑ 『知多半島の統計』平成25年版、43頁
- 1 2 『知多半島の統計』平成27年版、43頁
- ↑ 『知多半島の統計』平成28年版、43頁
- ↑ 『知多半島の統計』平成29年版、43頁
- ↑ 『知多半島の統計』平成30年版、43頁
- 1 2 『知多半島の統計』令和元年版、43頁
- ↑ 『知多半島の統計』令和2年版、43頁
- 1 2 3 『知多半島の統計』令和5年版、43頁
- 1 2 『知多半島の統計』令和7年版、41頁
- ↑ 『新修 半田市誌』本文篇中巻、538頁
参考文献
[編集]- 半田市『新修 半田市誌』 本文篇中巻、半田市、1989年。
- 「JR武豊線利用ルート」『中部新国際空港に関する地域整備関係調査(〜平成6年度)について』愛知県企画部(企画課交通対策室航空対策局)、
日本:愛知県名古屋市中区、1995年2月、73-75頁。 - 愛知県図書館・知多市立中央図書館・常滑市立図書館に蔵書。 - 名取紀之、滝沢隆久 編『トワイライトゾーンMANUAL』 12巻、ネコ・パブリッシング、2003年。ISBN 978-4-7770-0048-7。
- 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 東海旅客鉄道『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年。
- 川島令三『東海道ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6。
- 河合由平『武豊線物語』交通新聞社、2009年。ISBN 978-4-330-04609-9。
- 愛知県編 『愛知県統計年鑑』各年度版
- 知多統計研究協議会編 『知多半島の統計』各年版
