久谷村

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くたにむら
久谷村
廃止日 1968(昭和43)年10月25日
廃止理由 編入合併
久谷村松山市
現在の自治体 松山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 愛媛県
温泉郡
面積 44.55km2
総人口 7,902
(1962(昭和42年))
隣接自治体 松山市伊予郡砥部町
温泉郡重信町(現東温市
上浮穴郡久万町(現久万高原町
久谷村役場
所在地 愛媛県温泉郡久谷村大字東方甲955番地
座標 東経132度49分
北緯33度46分

Kutanimura00.png

特記事項=
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久谷村(くたにむら)は愛媛県中予地方にあったである。現在の松山市の最南部に位置する地域にあり、純然たる農山村地域であった。旧街道上に位置し、村内には四国八十八カ所巡礼札所46番浄瑠璃寺 と47番八坂寺がある。

地理[編集]

位置[編集]

地形[編集]

  •  地形は南北に長く、東西に短い長方形である。南側は、黒森山など1000m級の急峻な山地よって久万高原町(現在)と区画されており、東西は四国山地から北方向に伸びる山によって砥部町(西側)と東温市(東側)に区画されている。北側は開けており、重信川を隔てて松山平野に続く。面積は44.55km²あり、南北は約11km、東西は約3.7kmほどである。
  •  地形は、南側ほど標高が高く、かつ狭隘である。最も高い集落は412mある。北側は標高が50m程度となり、かつ開けている。中心部を御坂川が流れており、地域内各所に河岸段丘が認められる。約70%が山地で、その他は水田や畑地となっている。
  •  地質学的には、平地が沖積堆積物、山地が和泉砂岩層群である。南部の山地は中央構造線が走っており、これを境にして石鎚層群など複雑な構造となっている。
  •  気候は年間を通じて平均気温15℃と温暖であり、平均年間1400mm程度と降水量が少ない(昭和36~41年のデータ)。このため、村内には多数のため池がある。南部の山間部では、冬季積雪することがある。


歴史[編集]

久谷村の系譜
 (明治期)
      荏原村   ━━━┓ 
              ┃(昭和31年9月30日合併)
              ┣━━ 久谷村 ━━┓
              ┃         ┃
               ┃         ┃
      坂本村  ━━━┛     昭和43年10月25日松山市に編入

(注記)荏原村、坂本村成立以前の系譜については、それぞれの村の記事を参照のこと。

地域[編集]

北東方向を望む。(2009年6月12日撮影)
南方向を望む。中央の最も高い山は黒森山 (1154m) 。(2009年6月12日撮影)

合併以前の11の大字がそのまま久谷村の大字となり、松山市に編入の直前の1968年(昭和43年)9月大字上野の一部が分割し大字上川原となり、計12の大字が存在した。松山市に編入合併後、大字浄瑠璃寺が浄瑠璃町に、大字河原が大橋町となった。その他の大字はそのまま町名となった。

教育[編集]

文教村宣言をするなど教育に熱心であった。

中学校[編集]

久谷中学校[編集]

  •  昭和35年4月に、村内にあった荏原中学校と坂本中学校を統合して開校した。ただし、校舎は従前と同じ荏原小学校と坂本小学校の中に分教場として置かれ、統合後の新築校舎は、昭和37年4月に当時としては珍しかった鉄筋コンクリート3階建ての校舎が建築された。その後、順次体育館、プール等が建築されていった。村の一大事業であった。場所は、荏原地区と坂本地区の中間付近が選ばれた。
久谷中学校の校舎。この建物は建築当時のもの。

小学校[編集]

  • 荏原小学校
  • 坂本小学校

名所・旧跡[編集]

四国八十八箇所[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]