久米女王

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久米女王(くめじょおう/くめのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代日本皇族位階従五位下

経歴[編集]

系譜は未詳。『万葉集』によると、聖武朝天平10年8月20日(738年10月7日橘奈良麻呂の宴に列席し、奈良麻呂が紅葉について詠んだ歌に応えて、

もみち葉を 散らすしぐれに 濡れて来て 君が黄葉(もみち)を かざしつるかも (もみじ葉を 散らす時雨に 濡れてきて 君の紅葉を かんざしにしました)[1]

を詠んでいる。この当時、橘奈良麻呂は17、8歳であり、同世代の皇女であったことが想像される。

この和歌に続けて長忌寸の娘の一首が見え、会する10名のうち、ただ2人の女性であることから、長忌寸娘は女王の侍女であったことが推定される[2]

天平17年(745年)正月、无位から従五位下を授けられている[3]

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『万葉集』巻第八、1583番
  2. ^ 小学館『萬葉集』(三)p255注二
  3. ^ 『続日本紀』巻第十六、聖武天皇 天平17年正月7日条

参考文献[編集]