久志村

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久志村
廃止日 1970年8月1日
廃止理由 新設合併
久志村・名護町屋部村羽地村屋我地村名護市
現在の自治体 名護市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
国頭郡
隣接自治体 名護町羽地村東村宜野座村
久志村役場
所在地 905-2266
沖縄県名護市字瀬嵩7-1
外部リンク 名護市市民福祉部久志支所
特記事項 廃止当時は琉球政府アメリカ軍施政権下)
村役場のデータは現在の名護市久志支所のもの
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久志村(くしそん)はかつて沖縄県(戦後は琉球政府国頭郡にあったで、現在の名護市東部にあたる。現在は久志地域(名護市久志支所管内)として名護市の一地域として位置づけている。

1908年の島嶼町村制で久志間切から久志村となり、1923年に北部が東村として分立。1970年に名護町屋部村羽地村屋我地村と合併、名護市となり廃止した。村役所は瀬嵩に置かれた。

沿革[編集]

1673年名護間切の大浦・瀬嵩・汀間・安部・嘉陽・天仁屋・有銘・慶佐次・平良川・川田の10村、金武間切の久志・辺野古が分離して久志間切が新設された。1896年に国頭郡に編入した後、1908年4月1日の島嶼町村制で久志村となった。当時は村域が南北に約70kmと長く、村落が湾入が多く険しい海岸線にあるため行政運営が困難だったため、有銘・慶佐次・平良・川田・宮城・高江の北部6集落には分村の動きが高まり、1923年4月1日に北部6集落が分村、東村が誕生した。村域のほとんどが山に囲まれていたため、主な産業は林業だった。

沖縄戦では大きな被害はなかったものの、山奥での避難生活を余儀なくされた。終戦直後には瀬嵩、大浦湾、久志の3ヶ所に収容所が設置された。1956年(昭和31年)久志村村長(当時)の比嘉敬浩が『村興しのために米軍基地を誘致したい』と発言したが、当時沖縄県内では、米軍接収軍用地の地代支払い方法をめぐって反基地運動が高揚していたため、米国民政府は基地誘致の陳情に即答を避けた。しかし村の再三にわたる陳情と、そのたびに久志村議会議員の署名を携えてきたため、レムニッツァー民政官は応諾、在沖米四軍全員に照会したところ、陸海軍はこれ以上の基地増設は不要と答え、残った海兵隊が訓練場増設の必要性からこの誘致に応じた[要出典]。以上の経緯で辺野古を中心に米軍基地キャンプ・シュワブが建設されたほか、近くの山地や丘陵地帯は演習場として接収された。1964年東京オリンピックでは聖火香港から沖縄に到着したときに嘉陽小中学校(その後小学校のみになり、2009年3月31日閉校)に宿泊した。

主な産業は林業から農業へと変わったものの、過疎化により人口は減少。山を隔てて西海岸の名護町などの町村から合併の動きが出てきたが、村の衰退を懸念し合併に反対してきた。しかしこのままでは村を維持するのは困難であったため、結局1970年8月1日に名護町・屋部村・羽地村・屋我地村と合併し名護市となり、300年近くの歴史に幕を閉じた。村役所は名護市久志支所となった。

地域[編集]

久辺三区[編集]

  • 久志(くし)
  • 豊原(とよはら)
  • 辺野古(へのこ)

二見以北十区[編集]

  • 安部(あぶ)
  • 大浦(おおうら)
  • 大川(おおかわ)
  • 嘉陽(かよう)
  • 瀬嵩(せだけ)
  • 汀間(ていま)
  • 天仁屋(てにや)
    • 底仁屋(そこにや)区
  • 二見(ふたみ)
  • 三原(みはら)

(実際は9つの集落しかないが天仁屋が天仁屋と底仁屋の2つの区に分けているため「10区」となっている)

1923年に分村し、東村となった地域[編集]

  • 有銘(ありめ)
  • 慶佐次(げさし)
  • 平良(たいら)
  • 川田(かわだ)
  • 宮城(みやぎ)
  • 高江(たかえ)

隣接していた自治体[編集]

  • 名護町(現在の名護市)
  • 羽地村(現在の名護市)
  • 東村(かつては村の一部だった)
  • 宜野座村(戦前は現在の金武町にあたる金武村だった)

自然[編集]

  • 名護岳
  • 久志岳
  • 辺野古岳
  • 北明治山
  • 多野岳
  • 二ツ岳
  • 大浦湾

現在の名護市久志地域[編集]

合併後は人々は市の中心部の名護や市街地に近い西海岸の屋部・羽地とは対照的に、旧村域は人口がさらに減少し衰退の一途をたどった。特に米軍基地があり(名護市街に通じる)国道329号沿いの久辺三区(久志・豊原・辺野古)より名護市街から遠い二見以北の国道331号沿いの集落のほうが過疎化が進んでいる。

道路網の整備は進み、沖縄本島北部東海岸を縦断し本島を一周する道路(国道331号・沖縄県道70号国頭東線・一部の国道58号)も1980年代初めまでには全面舗装され、現在は沖縄のドライブ&ツーリングコースにもなっている。しかし西海岸とを横断する道路が少なく、長らく国道329号の1本のみだったが、2008年に沖縄県道18号線が全線(東江~大浦)開通し、大浦や大川だけでなく市役所の支所(かつての村役所)がある瀬嵩や近くの集落からも市街地へのアクセスが大幅に良くなった。それでも嘉陽や天仁屋などの集落は直接西海岸に通じる道路が林道しかなく、舗装はされているものの道幅が狭く、しかも山があるため頂上に林道が通じているため、山越えしなければならず生活道路としては向いていない。またそこらの集落と西海岸(おもに羽地方面)とを結ぶ横断道路の計画は多野岳や名護岳の山に隔てているため今のところ計画はない(県道18号線から名護市道羽地大川線や羽地ダム経由で羽地方面に向かうのは可能)。そのため大浦から沖縄県道18号線または二見まで出て国道329号で向かうか、さらに東村有銘へ行き沖縄県道14号線で源河に出る方法があるが、所要時間も少なくとも30分以上くらいはかかることになる。

主な産業は農業だが、漁港のある辺野古では漁業も行われている。1990年代以降はリゾート開発もするようになり、1ヶ所はすぐに倒産したものの、ゴルフ場も併設したカヌチャベイリゾートは長期滞在型リゾートとして県内外から人気を集めている。そこにはプロ野球横浜ベイスターズ米大リーグシアトル・マリナーズで活躍した佐々木主浩氏プロデュースのフィットネスクラブがあり、現役時代には自主トレでここを必ず訪れていた。また佐々木氏のグッズも販売されている。

戦後接収されたアメリカ軍基地は現在でもキャンプ・シュワブをはじめ、市内のほとんどが辺野古を中心に旧村内に集中している。1996年宜野湾市にある普天間飛行場を返還し、移設先をキャンプ・シュワブ沖に移設するという計画が決定した。しかし建設方法や周辺住民の反発、そして沿岸にサンゴ礁ジュゴンが生息するなどの環境問題などで未だに建設されていない。その移設計画とともに北部振興策の一環として基地のある辺野古など久辺三区にさまざまな施設が建設された。1999年に名護市マルチメディア館、2001年には国際海洋環境情報センターがそれぞれ豊原に完成、そして2004年には沖縄初の高等専門学校となる沖縄工業高等専門学校が辺野古に開校した。基地の移設計画とともに大きく変貌を遂げている。その反面、あまり恩恵を受けていない二見以北との格差が広がってきている。

交通[編集]

道路

路線バス

かつては久志に沖縄バスのバスターミナルがあり、中部を経由し那覇に向かう久志線(22番)のほか、名護市街行きの辺野古 - 名護線(77番)、東村平良行きの辺野古 - 平良線(78番)、天仁屋線(79番)、嘉陽線(80番)が運行されていた。しかし過疎化で乗客は減少し、数えるほどしか乗客がいない路線もあり赤字だったため、復帰後に久志線と辺野古 - 名護線の路線を統合し、辺野古経由の名護東線(77番)となった。1990年代初めまでには旧村内のみを通るバスを統合し、名護バスターミナルから二見以北の旧村内を通り、東村平良 - 大宜味村塩屋経由で名護に戻る名護東部線(74番は平良廻り、78番は二見廻り)とした。最後まで残った久志線は那覇から中部の具志川市(現在のうるま市)安慶名までに路線を短縮して廃止され(安慶名線に改称されたがのちに廃止)、バスターミナルも廃止された。

二見以北の名護東部線は乗客の少なさから2003年にさらに見直され、名護バスターミナルから二見以北の国道331号を経由し東村役場前までのルートに変更された。

  • 22番・名護 - うるま線(沖縄バス) 二見以南の国道329号を通る
  • 77番・名護東(辺野古)線(沖縄バス) 二見以南の国道329号を通る
  • 78番・名護東部線(琉球バス交通・沖縄バス共同運行) 二見以北の国道331号を通るが1日3本のみ

学校[編集]

主要施設[編集]

備考[編集]

  • 久志を2つに分けるとき「久辺」と「久志」に分かれるが、その場合「久辺」は久志・豊原・辺野古の3集落、「久志」は二見・大浦・大川・瀬嵩・汀間・三原・安部・嘉陽・天仁屋の9集落となる。
  • 久志集落の小学校・中学校の校区は“久辺”のほうで、“久志”ではない(かつては郵便局の集配エリアもそうだったが、現在は久辺郵便局に一本化されており、久志郵便局は無集配となった)。

外部リンク[編集]