久保山和夫

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久保山 和夫(くぼやま かずお、1933年10月20日[1] - )は、佐賀県出身のプロ野球審判員

来歴・人物[編集]

佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業後、立命館大学に入学。大学卒業後にパ・リーグ審判部に入局し、3000試合出場を達成するなど長らく活躍、1995年まで現役をつとめた。審判員袖番号は8(1977年初採用から1995年引退まで、8は1997年以降栁田昌夫がつけている)。日本シリーズ3回、オールスター6回出場しており、1970年代から1980年代を代表する名審判であった。

通算試合出場数は3190試合[1]

プロ野球を離れてからは少年野球の審判指導などで活躍[1]。京都府K-Ball少年野球連盟の理事(審判部長)も務めた[2]

同郷、同校出身の久保山誠(元西鉄・阪急)と間違われるが、別人である。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 久保山 和夫”. NPB. 2022年7月25日閲覧。
  2. ^ 京都府K-Ball少年野球連盟” (PDF). P7 (2005年). 2022年7月29日閲覧。

関連項目[編集]