丹羽長徳

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丹羽 長徳(にわ ながのり、1873年明治6年)8月4日[1] - 1947年昭和22年)11月20日[1][注 1])は、明治・大正期の政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・伊達[1]、幼名・誠一[2]

経歴[編集]

宇和島藩主・伊達宗徳の六男として生まれ、1902年9月、子爵丹羽長国の養子となり長徳と改名[1][2][3]。養父の死去に伴い、1904年1月23日、子爵を襲爵した[1][2][3][4]

学習院を修了し、農村経済に関する調査に従事した[3][5]

1911年7月、貴族院子爵議員に選出され[6]研究会に所属して活動し、1925年7月まで二期在任した[5]

親族[編集]

  • 妻 - 丹羽組子(くみこ、丹羽長国五女)[1]
  • 長女 - 岩崎誠子(せいこ、岩崎清一郎夫人)[1]
  • 二女 - 武藤文子(ふみこ、武藤金太夫人)[1]
  • 長男 - 丹羽孝一(こういち、17代目当主)[1]
  • 孫 - 丹羽長聰(ながとし、18代目当主。東京二本松会会長)[7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』50頁では11月22日。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、333-334頁。
  2. ^ a b c 『華族畫報』下、806-807頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録』第14版 下、ニ5頁。
  4. ^ 『官報』第6167号、明治37年1月25日。
  5. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』50頁。
  6. ^ 『官報』第8427号、明治44年7月25日。
  7. ^ 【S08】戦国大名の栄枯盛衰 講師プロフィール - 学習院さくらアカデミー 2018年7月13日閲覧。

参考文献[編集]

  • 杉謙二編『華族畫報』下、吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。


日本の爵位
先代:
丹羽長国
子爵
二本松丹羽家第4代
1904年 - 1947年
次代:
華族制度廃止