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丹羽厚悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にわ こうえつ

丹羽 厚悦
生誕 (1930-08-12) 1930年8月12日
日本の旗 日本 山形県山形市
死没 (2023-06-23) 2023年6月23日(92歳没)
出身校 福島経済専門学校
職業 銀行家
栄誉 従四位
旭日小綬章
三浦記念賞
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丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日 - 2023年〈令和5年〉6月23日)は、日本の銀行家。元山形銀行頭取

来歴・人物

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山形県山形市出身。福島経済専門学校(のち福島大学経済学部、現在の同大学人文社会学群経済経営学類)卒業後、両羽銀行(現在の山形銀行)入行。

1993年(平成5年)、8年あまり頭取を務めた三浦新の後任として昇格する。これは戦後初めて、創業家である三浦家、長谷川家以外での頭取就任となった。

2005年(平成17年)には在任12年を迎えたこと、じゅうだん会による新システムも稼動となったことから、長谷川吉茂専務に大政奉還し顧問に退いた。その堅実な経営手腕には定評があった[1]

山形商工会議所副会頭を歴任したほか、多年に亘る地域経済発展に対する功労に三浦記念賞、2006年(平成18年)には旭日小綬章が授与された[2]

元山形県知事の髙橋和雄とは旧制山形中学校(現在の山形県立山形東高等学校)時代の同級生で、親友であり支持者でもあった。のちに髙橋の後任となる齋藤弘が山形銀行に入行後1年余りで退行し、2005年(平成17年)の山形県知事選挙に立候補した際、「寝耳に水で信義則に反する。相談も受けていない。」と不快感を記者会見で表明した[3]

2023年6月23日、腎盂がんのため、死去[4][5]。92歳没。死没日付をもって従四位に叙された[6]

略歴

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  • 1948年(昭和23年) - 旧制山形県立山形中学校 (現・山形県立山形東高等学校)卒業[7]
  • 1951年(昭和26年) - 福島経済専門学校(現・福島大学人文社会学群経済経営学類 - 旧経済学部)卒業後、両羽銀行(1965年(昭和40年)、山形銀行に改称)入行。以降、東根、十日町各支店長、総合企画部、人事部各部長等を歴任。
  • 1977年(昭和52年) - 取締役人事部長委嘱。
  • 1979年(昭和54年) - 常務取締役。
  • 1985年(昭和60年) - 専務取締役。
  • 1993年(平成5年) - 頭取。
  • 2005年(平成17年) - 顧問。
  • 2023年(令和5年)- 死去。

脚注

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  1. ^ 朝日新聞 2005年5月26日
  2. ^ 『官報』号外104号、平成18年5月1日
  3. ^ 朝日新聞 2004年11月25日
  4. ^ 元山形銀頭取、県協会長の丹羽厚悦氏が死去 92歳 - 山形新聞 2023年6月24日
  5. ^ 【訃報】山形銀行元頭取・丹羽厚悦さん死去92歳”. YBC山形放送 (2023年6月23日). 2023年6月23日閲覧。
  6. ^ 『官報』第1030号7頁 令和5年7月31日
  7. ^ 山形銀行百年史 1997年