丸山博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - )は、プロ野球審判員で元セントラル・リーグ審判部副部長。審判員袖番号は30[1]

来歴・人物[編集]

長野県上田市出身。終戦の1945年に旧制上田中学に入学、野球部に入部するも小柄だったためマネージャーを務めた。新制となった上田松尾高校(現在の長野県上田高等学校)を卒業後、長野県高等学校野球連盟を経て1957年セ・リーグ審判部に入局。

以後セ・リーグの中心審判の一人として活躍し、1989年に引退するまでの審判としての通算試合出場数は3521試合を数えたが[2]日本シリーズ出場は意外と少なく2回(1977年の日本シリーズ1982年の日本シリーズ)、またオールスターには6回出場した。

歴史的な試合にも立会い、1976年10月11日読売ジャイアンツ阪神タイガース第23回戦(後楽園球場)にて王貞治(巨人軍)が山本和行(阪神)から8回裏、ベーブ・ルースの通算714本塁打を抜く通算715号本塁打を打ったゲームの球審を務めていた。この際、王が飛び上がって万歳している横でしゃがんでホームランの確認をしている丸山の写真が残っている。なお、当時ヤクルトの監督だった広岡達朗には「巨人贔屓の審判」として名指しで批判を受けてもいる。

引退後は日本プロ野球および台湾で審判指導を行った。台湾では1992年から1994年の間、実際にグラウンドに立ち268試合審判を務めたほか、審判技術指導も行っている。

1999年日本野球機構審判規則委員に就任し、11年間務めた後、2010年1月31日にて退任した[3]

脚注[編集]

  1. ^ 1988年初採用から1994年退職までで、1989年現役引退後(審判指導員→台湾審判指導員)も含まれる。なお、現在30は1998年以降木内九二生がつけている。
  2. ^ 倉見徹 (2010年2月3日). “ONとともに時代を疾走 半世紀にわたりプロ野球支えた丸山博さん”. 47NEWS. 全国新聞ネット. 2017年4月22日閲覧。
  3. ^ “王の715号もジャッジ、元審判・丸山さん退職”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年2月9日). http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20100209-OYT1T00746.htm 2010年2月9日閲覧。 [リンク切れ]

関連項目[編集]