コンテンツにスキップ

串本康三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
串本康三
くしもと こうぞう
生年月日 1862年11月5日
出生地 日本の旗 日本 広島県安芸郡奥海田村
(現・海田町
没年月日 (1919-01-21) 1919年1月21日(56歳没)
所属政党憲政党→)
立憲政友会

選挙区 (広島県第1区→)
広島県広島市選挙区
当選回数 4回
在任期間 1898年 - 1902年8月9日
1903年 - 1903年12月11日
1908年 - 1909年7月5日
1912年 - 1914年12月25日



奥海田村会議員
テンプレートを表示

串本 康三(くしもと こうぞう、1862年11月5日文久2年9月14日[1] - 1919年大正8年)1月21日[2][3])は、日本の政治家衆議院議員(4期)。勲等は勲四等[3]

経歴

[編集]

広島県安芸郡奥海田村(現・海田町)出身[3]。奥海田村会議員、広島市会議員、広島県会議員となる[2]。また、広島汽船、関西皮革各(株)取締役、広島電気軌道(株)監査役を務めた[2]

1898年明治31年)の第6回衆議院議員総選挙において広島1区から憲政党公認で立候補して当選した[4]1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙で落選[5]1903年(明治36年)の第8回衆議院議員総選挙において立憲政友会公認で立候補して復帰した[6]1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙で落選[7]1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙において当選した[8]。しかし、1909年(明治42年)7月5日に当選無効が確定した[9]1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で返り咲いた[10]。衆議院議員を4期務め、1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙で落選[11]1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙でも落選した[12]。1919年に死去した。

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、36頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』226頁。
  3. ^ a b c 立憲政友会功労者追遠録 189コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』33頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』38頁。
  6. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』42頁。
  7. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』46頁。
  8. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』50頁。
  9. ^ 官報 1909年09月29日 7コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』54頁。
  11. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』58頁。
  12. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』62頁。

参考文献

[編集]
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。