中里篤史
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![]() 中日時代 (2009年9月5日、ナゴヤ球場にて) | |
基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 埼玉県朝霞市 |
生年月日 | 1982年9月12日(39歳) |
身長 体重 |
185 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト1位 |
初出場 | 2001年9月16日 |
最終出場 | 2010年7月27日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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中里 篤史(なかざと あつし、1982年9月12日 - )は、埼玉県朝霞市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツのスコアラー。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
春日部共栄高校入学時は180cmの長身ながら60kgの痩せた体格だった。当時の本多監督が直球だけで三振を奪える投手を目指して徹底的な体力強化を行なわせ、変化球はカーブのみを練習させた。その結果、ストレートに磨きがかかり、2年生の時には140km/hを記録。その年の秋季関東大会の初戦では東海大相模と対戦し、延長戦の末に1対2で敗れた。3年生の時には春季埼玉県大会で優勝。関東大会では選抜大会出場の国士舘を相手に好投した。
甲子園出場・優勝を目標とした夏の全国高等学校野球選手権埼玉大会では、初戦は5回コールドゲーム、すべてのアウトを三振で取る15奪三振の完全試合(参考記録)を達成。決勝戦では浦和学院高校の坂元弥太郎と延長10回を投げ合うもサヨナラ負けを喫し甲子園出場はならなかった。東海大相模の筑川利希也、桐生第一の一場靖弘とともに関東3羽ガラスとしてプロのスカウトから注目された。高校生の右投手としてはトップクラスの評価を受け、2000年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから1位指名を受けて入団。
中日時代[編集]
2001年、フレッシュオールスターゲームでは150km/hを記録。9月16日の対読売ジャイアンツ戦で一軍デビューを飾った。またこの試合ではプロ初安打となる適時打も放っている。
2002年の春季キャンプ中に宿舎の階段で転倒しそうになり、とっさに手すりをつかんだ際に脱臼。右肩関節唇および同関節包の損傷で、投手生命が危ぶまれるほどの重傷を負った[1]。
2003年オフにプールでのトレーニング中にまたも右肩を故障。
2004年も一軍登板なしに終わった。
2005年、4年ぶりに一軍に昇格、10月1日の復帰初登板では最高148km/hを記録、1回を三者凡退(2三振)と好投し、リリーフでプロ初勝利を挙げた。オフに背番号を70から18に変更。
2006年8月に一軍へ復帰すると、自己最多の13試合に登板。日本シリーズにも登板。東京ヤクルトスワローズ戦で自己最速の152km/hを記録。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは新庄剛志の現役最終打席で登板し、泣きながら打席に立つ新庄を直球勝負で三振に打ち取った。
2007年、バランスボールから落下し左肘骨折する怪我を負い、一軍登板なしに終わった。二軍成績は15試合3勝3敗、61回を投げ43奪三振、防御率3.84だった。
2008年、8年目にして初の開幕一軍入りを果たすが、5月初旬に二軍へ降格。8月に一軍へ再昇格したが、期待されたセットアッパーの位置を確保できなかった。同年オフに背番号が70へ戻された。
2009年は5月31日に一軍昇格したものの登板わずか2試合、計4回1/3を3失点、防御率6.23。6月5日に二軍へ降格。以降二軍戦で投げ、22試合6勝3敗1セーブという成績を残すものの、一軍へ再昇格することなく、11月2日に戦力外通告を受けた。
巨人時代[編集]
2009年11月11日に読売ジャイアンツへ移籍[2]。背番号は63[2]。
2010年7月17日に一軍登録され、当日に行われた対横浜ベイスターズ戦に登板。1イニングを無失点で切り抜けた。一軍では前年と同じ2試合の登板だったが、二軍の成績は30試合に登板し2勝2敗1セーブ、35回1/3を投げて29奪三振、防御率2.80の成績を残す。
2011年は、二軍の成績は23試合に登板。3勝2敗、38回を投げて30奪三振、防御率3.79の成績であった。しかし、自身4年ぶり、移籍してから初の一軍登板なしに終わった。11月15日に2度目の戦力外通告を受け、その後現役引退を表明した。
現役引退後[編集]
選手としての特徴[編集]
ストレートには威力があり、高めのボールで空振りを奪うことができた[5]。中日時代には投手陣の中でも随一の球威と評されていた[6]。プロ入り後の最速は152km/h[7]。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 中日 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 45 | 9.0 | 12 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 8 | 6 | 6.00 | 1.89 |
2005 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 18 | 4.0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4.50 | 1.25 | |
2006 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 46 | 10.0 | 9 | 1 | 7 | 1 | 1 | 14 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.60 | 1.60 | |
2008 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 44 | 10.1 | 6 | 1 | 6 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 4 | 4 | 3.48 | 1.16 | |
2009 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 4.1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 3 | 3 | 6.23 | 1.62 | |
2010 | 巨人 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 16 | 3.0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 2.33 |
通算:6年 | 34 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 190 | 40.2 | 40 | 3 | 24 | 1 | 1 | 32 | 3 | 0 | 23 | 21 | 4.65 | 1.58 |
記録[編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発登板:2001年9月16日、対読売ジャイアンツ28回戦(ナゴヤドーム)、5回3失点
- 初奪三振:同上、2回表に清原和博から空振り三振
- 初勝利:2005年10月1日、対広島東洋カープ21回戦(ナゴヤドーム)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2001年9月16日、対読売ジャイアンツ28回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に條辺剛から中越2点適時二塁打
背番号[編集]
- 28(2001年 - 2003年)
- 70(2004年 - 2005年、2009年)
- 18(2006年 - 2008年)
- 63(2010年 - 2011年)
関連情報[編集]
関連書籍[編集]
- 『中日ドラゴンズ ドラフト1位のその後』(別冊宝島編集部編、宝島社、2014年)ISBN 9784800220929
脚注[編集]
- ^ “【2月20日】2002年(平14) 苦難はここから始まってしまった…中里篤史、投手生命の危機”. スポニチ Sponichi Annex (2010年2月20日). 2010年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月20日閲覧。
- ^ a b “「真っ直ぐにこだわりたい」中里篤史投手の入団を発表”. 巨人軍公式サイト (2009年11月11日). 2009年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月13日閲覧。
- ^ “惜別球人 【巨人】中里 故障に泣いた未完の大器”. スポニチ Sponichi Annex (2011年12月19日). 2012年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月20日閲覧。
- ^ 中日・堂上直倫 脱“守備の人”/レベルアップ宣言 週刊ベースボールONLINE 2019年3月4日
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2006』白夜書房、2006年、29頁頁。ISBN 4-86191-134-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、20頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ “松坂大輔を見て思い出す、プロ野球「記憶に残る復活投手」ランキング”. web Sportiva (2018年4月23日). 2021年12月26日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 中里篤史 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 The Baseball Cube