中邨秀雄

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中邨 秀雄(なかむら ひでお、1932年10月20日[1] - 2015年7月3日)は、日本財界人、フリープロデューサー芸能プロモーター吉本興業代表取締役社長会長、名誉会長を務めた。

来歴・人物[編集]

現在の大阪市中央区出身。大阪府立生野高等学校卒。関西学院大学文学部卒業。大学時代はラグビー選手として活躍。

1955年5月、吉本興業に入社し、駆け出し時代は人気漫才師花菱アチャコ大村崑などのマネージャーを務めた。

うめだ花月劇場の開館、吉本新喜劇の立ち上げに尽力し、人気テレビ番組ヤングおー!おー!」をプロデュース。所属タレントを積極的にテレビに出演させる戦略が実を結び、「お笑いの吉本」の地位を不動にした。その後、制作部長・常務・専務・副社長を歴任。

1991年4月、会長だった林正之助の死去に伴い、代表取締役社長に就任、東京進出の旗振り役となり、関西ローカルだった吉本を「全国区」に押し上げた。

1999年に会長、2003年に名誉会長となる。2004年6月30日に一身上の都合から退任し吉本を退社。以降はフリープロデューサーとして活動していた。2015年7月3日、肺炎のために死去[2]。近親者にて葬儀を行った後、1ヶ月後の8月1日に死去が公表された。82歳没。

政治学者中邨章は弟。

備考[編集]

テレビ番組のプロデュース等を通して吉本興業を「全国区」に押し上げて有名にした反面、会社の方針に従わない芸人・タレントには厳罰を科すなど企業人及び芸能プロモーターとして冷徹なポリシーを持っていた。中でも横山やすしを吉本在籍時代から毛嫌いをしており、やすし本人が1989年に飲酒運転を起こした際には、上層部との議論の末に、やすしとの専属契約の解消を即座に決めたという経緯があった[3]

2004年の吉本退職以前にも、一時期吉本を離れていた時期がある。

手がけた番組[編集]

著書[編集]

  • 『笑いに賭けろ! 私の履歴書』(日本経済新聞社、2003年) ISBN 978-4532164454

脚注[編集]

  1. ^ 九州NEC C&Cシステムユーザー会 平成17年度 総会開催のご案内会
  2. ^ 吉本興業元名誉会長の中邨秀雄さん死去 朝日新聞 2015年8月1日閲覧
  3. ^ ただし、その反面、自身の著書でやすしに対する思い、更には芸に対する評価を述べている。

関連項目[編集]

先代
林正之助
吉本興業
社長
第8代:1991年 - 1999年
次代
林裕章