中華武士会

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天津中華武士會(てんしんちゅうかぶしかい)は、辛亥革命直後の1912年(民国初年)に、中華民国大総統であった袁世凱の主導によって、天津に設立された武術団体。全国の武術家たちの友和団結と熱烈な愛国心を謳い設立された、右翼的な性格も色濃い団体でもあった。

袁世凱の失脚後の1916年には自然消滅するが、その役割は後の南京中央国術館に引き継がれた。

会長には大総統府親衛隊の武術教官あった李瑞東(楊式府内派太極拳)が、副会長兼総教務には、馬鳳図(劈掛拳・八極拳)、教務主任には李存義形意拳)が選ばれた。

この他にも中華武士会には張占魁(形意拳)、肖公輔(劈掛拳)、張景星(八極拳)、李書文(八極拳)、馬英図(馬鳳図の弟、劈掛拳・八極拳)など、錚々たる達人たちが集い教鞭をとっていた。

国家制定太極拳の「簡化二十四式太極拳」に関わった、李天驥の父李玉琳も1924年頃李存義に形意拳を学んだ。