中田薫 (法学者)
![]() |
![]() | |
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1877年3月1日![]() |
死没 | 1967年11月21日(90歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 法学(日本法制史) |
中田 薫(なかだ かおる、1877年3月1日[1] - 1967年11月21日[1])は、山梨県甲府市出身の法学者。専門は日本法制史。東京大学名誉教授法学博士。貴族院議員。
経歴[編集]
1877年、鹿児島県生まれ[1]。第二高等学校[2]をへて、1900年に東京帝国大学法科大学政治学科卒業[3]。その後、同大学院に入学し、1902年から東京帝国大学法科大学助教授。1908年から[4]1911年まで[5]文部省外国留学生として、ヨーロッパに留学[1]。1911年に教授となり[6]、1937年に退官[7]。
1910年、法学博士の学位を授与される[8]。1925年、帝国学士院会員[9]。1946年に文化勲章、1951年に文化功労者。
1946年3月22日、貴族院勅選議員に任じられ[10]、無所属倶楽部に属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[11]。
業績[編集]
それまでの有職故実の流れを汲む法制研究に、外国との比較をする新しい方法を取り入れる。『徳川時代の文学に見えたる私法』は広く読まれている。門下に東大中世史の礎となる石井良助、唐令研究で名高い仁井田陞がいる。古代史・中世史研究家の石母田正にも大きな影響を与えた。(「石母田正 戦後歴史学の思想」法政大学出版局 1977年 三先生のこと)。
家族・親族[編集]
主な著書[編集]
- 『徳川時代の文学と私法』(半狂堂、1923年)
- 『徳川時代ノ文学ニ見エタル私法』 明治堂書店 1925 のち岩波文庫
- 『法制史論集』(全4巻) (岩波書店、1926-1964年)
- 『西洋法制史』 文信社 1928
- 『日本公法法制史』 啓明社 1932
- 『獨逸法制史』 啓明社 1933
- 『日本私法々制史』 東京プリント刊行会 1936-37
- 『仏蘭西法制史』 文精社 1936
- 『庄園の研究』(彰考書店、1948年)
- 『村及び入会の研究』(岩波書店、1949年)
- 『古代日韓交渉史断片考』(創文社、1956年)
- 『日本法制史講義』(創文社、1983年)
脚注[編集]
- ^ a b c d 日本歴史学会 1999
- ^ 第二高等学校 編 『第二高等学校一覧 自明治30年至明治31年』第二高等学校、1898年、142頁。
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治34年至明治35年』東京帝国大学、1901年、520頁。
- ^ 『官報』第7425号、明治41年3月31日、p.802
- ^ 『官報』第8444号、明治44年8月14日、p.280
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治44年至明治45年』東京帝国大学、1911年、450頁。
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和12年度』東京帝国大学、1937年8月、p.359
- ^ 『官報』第8231号、明治43年11月28日、p.588
- ^ 『帝国学士院一覧 昭和2年』帝国学士院、1927年、p.83
- ^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。
- ^ 『議会制度七十年史〔第1〕貴族院・参議院議員名鑑』141頁。
- ^ 「川は流れる(7)」あきた(通巻58号) 1967年(昭和42年)3月1日発行 -全64ページ-
- ^ 「人・その思想と生涯(37)」あきた(通巻84号) 1969年(昭和44年) 5月1日発行
参考文献[編集]
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史〔第1〕貴族院・参議院議員名鑑』1960年。
- 日本歴史学会 編 『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、233頁。 NCID BA41440802。