中田町 (富山県)
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| なかだまち 中田町 | |||
|---|---|---|---|
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| 廃止日 | 1966年2月10日 | ||
| 廃止理由 |
編入合併 戸出町、中田町 → 高岡市 | ||
| 現在の自治体 | 高岡市 | ||
| 廃止時点のデータ | |||
| 国 |
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| 地方 | 中部地方、北陸地方 | ||
| 都道府県 | 富山県 | ||
| 郡 | 東礪波郡 | ||
| 面積 | 10.29km2. | ||
| 総人口 |
4,572人 (国勢調査、1965年) | ||
| 隣接自治体 | 高岡市、戸出町、砺波市、大門町、小杉町 | ||
| 中田町役場 | |||
| 所在地 | 富山県東礪波郡中田町大字中田 | ||
| 座標 |
北緯36度40分55.0秒 東経137度1分12.0秒 | ||
| ウィキプロジェクト | |||
中田町(なかだまち)は、富山県にかつて存在した町である。1966年2月10日、編入合併で高岡市の一部となった。現在は高岡市の南部に位置する。この項目では、現在の中田地域についても解説する。現在の中田地域は、中田(なかだ)と般若野(はんにゃの)の2地域から構成される。
歴史[編集]
- 863年 - 東大寺墾田図に「越中正六位移田神授従五位下」との記載がある。平安時代初頭、現在の移田八幡宮(いかだはちまんぐう)周辺に多くの人家があったと考えられている。
- 1183年5月 - 般若野の戦いが起きる。加賀より軍を進め般若野の地で兵を休めていた平軍の先遣隊平盛俊の軍を、5月9日明け方に木曾義仲の先遣隊今井兼平の軍が奇襲。平盛俊軍は戦況不利に陥り退却。5月10日、六動寺(現・新湊市六渡寺)に宿営していた木曾義仲軍は般若野の今井兼平軍に合流。5月11日の朝、倶利伽羅峠へ向かって般若野を出発した。
- 1200年 - 1500年頃 - 地区を東西に貫く中田通(なかだどおり)は古くより北陸道の主要道であり、中田地区はその宿場町として栄えていた。木曾義仲の他、承久の乱では北条朝時と結城朝広の軍勢、乱後の配流では順徳上皇の御一行、また、佐々成政攻めの際に豊臣秀吉の軍勢らが中田を通った。
- 1615年 - 加賀藩より宿送人足伝馬の御朱印が下り中田地区に駅が設置される。
- 1620年頃 - 江戸時代初期、常国(つねくに)に加賀藩の御旅屋が作られる(詳細創設年月不明)。
- 1755年頃 - 九斎市(毎月、3、6、9、13、16、19、23、26、29日に行われる市)の開催されていた。
- 1865年9月 - 加賀藩の御蔵である「中田御蔵」が造られた。庄下組45ヶ村のうち25ヶ村、及び般若組47ヶ村のうち31ヶ村が中田御蔵へ所管となった(中田御蔵の所在は新開川の東側、南は移田八幡宮に接する場所)。
- 1889年4月1日 - 四町村(中田町、下麻生村、上麻生村の内、下麻生村の内)の合併により新「中田町」誕生。町制施行。
- 1889年4月1日 - 十二村(常国村、中野若杉新村、小泉新村、滝新村、島新村、下山田村、下山田新村、東保新村、今泉新村、滝村、今泉村、円池又新村(射水郡))の合併により「般若野村」誕生。村制施行。
- 1953年9月15日 - 庄川東部に位置していた一町五村(中田町、般若野村、東般若村、栴檀野村、般若村、栴檀山村)による町村合併促進協議会設立。
- 1952年4月1日 - 一町一村(中田町、般若野村)の合併により「中田町」新設。
- 1966年2月10日 - 高岡市へ編入合併。高岡市の一部となる。
地域の特色[編集]
中田地域は砺波平野の東北に位置し、東および北は射水市と接している。西には隣接する戸出地域の境界に庄川が流れている。南には中田地域と姉妹関係だった砺波市の庄東地域が連なっている。
また、中田地域は地形によって山地、河岸段丘、平地の3地域に分けられ、山地は「野上」(のじょう)、河岸段丘は「野役」(のえき)、平地は「野下」(のじた)と呼ばれている。
新興住宅団地[編集]
新興住宅団地の開発もあり、地域人口は、6,880人(平成18年度)中田町の合併前より増えている。
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教育施設[編集]
交通[編集]
道路[編集]
観光地[編集]
参考文献[編集]
- 中田町誌
