中田正子

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中田 正子(なかた まさこ、明治43年(1910年) - 平成14年(2002年10月15日)は日本弁護士。日本初の女性弁護士で、鳥取県弁護士会長、日本弁護士連合会理事などを歴任した[1]。夫は中田吉雄社会党参院議員[1]旧姓田中[2]

経歴[編集]

生い立ち[編集]

明治43年(1910年)東京小石川に生まれた[3]。父田中國次郎[4]職業軍人の傍らシェークスピアを原語で読むほどの勉強家だった[5]

学生時代[編集]

女子経済専門学校に在学中、新渡戸稲造我妻栄(当時民法学の権威)に学んだことがきっかけで、法律の道を志した[2]。昭和6年(1931年日本大学法学部に選科生として入学[6]。昭和9年(1934年)日本大学法学部選科生の課程を卒業[6]明治大学専門部女子部3年次に編入学[6]。昭和10年(1935年)明治大学専門部女子部卒業、同法学部に進学[6]

昭和13年(1938年)当時の高等試験司法科に合格した[3]。3名の女性合格者はいずれも明大女子部出身者だった[3]

弁護士として[編集]

昭和15年(1940年)弁護士試補試験に合格、正式に弁護士となる[6]。年齢も30歳に届く頃で、前年には結婚もしていた[3]。その後は、夫の出身地である鳥取県に移住[3]

平成14年(2002年10月15日心不全のため鳥取市の病院で死去した[1]。91歳[1]

人物像[編集]

正子の長女は正子に「なぜ、弁護士になったの?」と問かけると正子は照れながら「失恋したから男性をやっつけてやろうとか、そんなはっきりした動機はなかったの[5]。学問的興味で試験を受けたら合格しちゃったのよ[5]。」と答えたという。

正子は江戸時代から続く武家屋敷旧岡崎邸に暮し、この貴重な歴史遺産を今に伝える上で大きな役割を果たしたことでも有名である[2]。旧岡崎邸を所有している不動産業者が建物を取り壊し更地にしようとしたところ、そこで暮す正子が居住権を楯に頑として認めなかったという[2]

正子の父田中国次郎[4]は鳥取県汗入郡福頼村(現在の米子市淀江町)出身であり、平成18年(2006年)に鳥取市歴史博物館で開催した展覧会「日本初の女性弁護士 中田正子」および「若桜町巡回展」に続き、平成19年(2007年)4月25日~5月28日迄米子市淀江町の米子市淀江歴史民族資料館にて、上記展覧会が開催された[7]

関連[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]